暗闇の鬼、それとも人か

3/3
前へ
/35ページ
次へ
 自分の命など構わない。どうせ最初から捨てられた命だ。リュヤージュ様を、敬愛する主人を、そして——密かに思うことが許されるのならば、大切な友人を——救うために捨てても構わない命だ。 「私を処刑なさいませ。リュヤージュ様」  リュヤージュの目に、ぎらりと光が宿った。極度に渇いた人間は、いけないと理解しながら海水を口にしてしまう。リュヤージュの目の奥に(くすぶ)る火は、その(たぐい)の渇望を宿していた。 「シル、それでも私は……。言葉を違えるようだが、どうか今は、『リュイ』と呼んでくれ」 「……!」  シルは感情を大きく揺さぶられて、深く深く息を吸い込まねば倒れてしまいそうだった。まだ、友人として呼ぶことを許されるのならば……。  主人と使用人。弟と兄。黄昏を過ぎてなお、二人の青年の関係は、グラデーションを描いて二人の間に揺らめいた。 「リュイ。僕を処刑するんだ」 「……シル。きみをもう一度『友』と」 「細工をした者が見つかれば」 「シル!」  言葉を遮ったシルにリュヤージュは抗議の声を上げたが、シルは構わずに続けた。もう心残りはなかった。友のために、身を捧げることができる。 「見つかれば、使用人はお互いを疑う必要がなくなる」 「……ああ」  アメジストと讃えられたリュヤージュの瞳は、日没を過ぎた暗い部屋の中で、魔性の宝石のようにぎらぎらと光を放った。 「下手人が処刑されれば、屋敷の人々はきっと平穏を取り戻す」 「……」 「使用人として、リュイとカシシーヴ家を守りたい。それが大切な友のためならば、なおさらに」 「『大切な友』と言ってくれるならば、余計にそんなことはできないと分かるだろう?」 「友だからこそだよ。僕に貴族の方々とのお付き合いは分からない。ただ、屋敷の中の不穏は身に沁みて分かる」  リュヤージュは、また自分の見過ごしを悔やんで両手を握りしめ、唇を噛んだ。 「僕にできるのは、屋敷の安寧を取り戻すことだ。このお屋敷が僕の世界のすべてだから。命と引き換えにこの世界を守らせてほしい」  シルが「世界のすべて」と言った瞬間、リュヤージュの瞳に涙の膜が張った。 「ああ。ありがとう、シル。少し考えさせておくれ」  かさかさに乾いて掠れた声で、リュヤージュは呟くように言った。あまりにも細い声だったから、シルは危うく聞き逃すところだった。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加