17人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
「ちちうえ! かんじまなびたくないです!」
「瑠璃。だめだよ、そんな態度じゃ。それでは、簡単なものからね」
「むぅ……」
「火」と書かれた紙を渡される。
「ひ、と読むんだよ」
「火……これのことですね」
瑠璃は蝋燭の上、ゆらめく火を指差す。
「うん、その通り」
瑠璃の父はにこ、と笑う。
「じゃあ、書いてみようか」
筆と半紙を渡される。瑠璃は書きたくないなぁと思いながら「火」と見様見真似で筆を動かす。
「おお、書けるじゃないか。すごいぞ、瑠璃!」
瑠璃の父は息子の頭を撫でる。
「へへ」
時は平安時代。親子は大きな屋敷の一角で、穏やかに過ごしていた。女中たちがひっそりと「瑠璃様可愛い〜! お父様かっこいい〜!」なんて呟くが、瑠璃はそんなこと聞こえていなかった。父親との時間が何よりも大切だったからだ。
「じゃあ、次は……『生』だ」
「せい?」
「生というのは、いきるということ。命のことだ」
「いのち……よくわかりません」
ふむ、と瑠璃の父は呟いて筆を取る。半紙の上に、兎、金魚、雉の絵をすらすらと描いていく。瑠璃の父は絵が上手かった。
「どうぶつ……ですか?」
「そうだよ。動物には、命が宿っているんだ」
「いのち……が」
「そうさ。生きとし生けるものには、全て。もちろん私たちにも」
瑠璃の父はとんとん、と胸の辺りを優しく叩く。瑠璃も自分の胸を触ってみる。どくどくと動いているものがある。
「あにさま、あねさまにも、あったのでしょうか」
「そうだね。彼らは病気で亡くなってしまったけど……確かに、命はあった」
瑠璃はいなくなったきょうだいを思い浮かべる。
「わかったかな?」
「うーん、まぁなんとなく、ですかね。まつたけにいのちはありますか?」
「どうかな……命について、今はわからなくても大丈夫。ゆっくり学んでいこうね。さ、次は……」
「あなた、茶会のことを忘れていませんか?」
顔を上げると、瑠璃の母がそこに立っていた。困った顔をしている。
「ははうえ! いま、ちちうえとかんじのべんきょうをしていたところなんです」
「あら、頑張っているのね。瑠璃、勉強嫌いなのにえらいじゃない」
「へへ」
瑠璃の父は立ち上がり、瑠璃に申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね、瑠璃。続きはまた今度にしようね」
「いいですよ、ちちうえはおいそがしいですからね」
「すまない。待たせたね、行こうか」
「牛車が待ってます、急ぎましょう」
「あ、瑠璃」
「なんでしょう、ちちうえ」
「これを持っていなさい」
茶色の棒を渡される。
「これは……えだですか?」
「仕込み刀さ。お守りとして持っていなさい。帰ったら説明しよう。短歌も教えようね」
「はい、わかりました。ちちうえ」
瑠璃は短歌が苦手だった。大人のやるものだと思っていたからだ。でも、大好きな父と学べるのなら別に構わない。頑張れる。
二人は並んで屋敷を去っていく。その後ろ姿に瑠璃はにこにこと手を振るのだった。当たり前のように、二人が帰ってくると信じて。
最初のコメントを投稿しよう!