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#3 風俗探偵
翌日、夫を会社に送り出すと、私は近所に住む青山さんに慎吾を預け、電車に乗った。
青山さんの家には、みちるちゃんという慎吾と同じ小2の娘さんがいて、大人しいみちるちゃんは自閉症気味の慎吾の唯一といっていい友だちなのだ。
「いいよいいよ。理由は聞かないから、存分に羽を伸ばしてきてね」
笑顔で慎吾をあずかってくれる青山さんは、ママ友の中でも一番気の置けない人である。
別に浮気旅行に行くわけでもないのだが、私は何度も礼を言って、その立派な一軒家を後にしたものだった。
隣のS市で電車を降り、指定された駅ビルの展望レストランに赴くと、校長はすでに窓際の席に陣取って食事の真っ最中だった。
その隣にはなぜか緑色の髪の毛の、顔色の悪い娘が座っていて、私が近づくと、「ういっす」と小声で言って頭を下げた。
「ごめんね~、あんまりお腹空いちゃったもんだから、先に注文して食べちゃった」
坂巻校長が、恰幅のいいおなかを叩いて笑った。
こういう豪快で子どもみたいなところ、変わってないな。
昔を思い出し、ちょっと懐かしくなった。
校長は、鬢に白いものが目立つ程度で、相変わらず元気そうだ。
「いえ、いいんです。私は飲み物だけで」
緑色の髪の娘がドリンクしか頼んでいないのを見て、私は急いで先回りした。
「でもねえ、10年前っていうと、私の赴任前だからねえ」
あっというまに定食を平らげると、ナプキンで口元を拭い、真顔に戻って坂巻校長が切り出した。
「きのうあれから、古い生徒名簿探してみたんだけど、さすがに10年前のものは保存されてなくってねえ。しかも、その子、2年生の1学期に転校しちゃったんでしょう? せめて卒業までいてくれたら、卒業アルバムをあたるってこともできたんだけど…」
「そうですか」
予想通りの結果ではあったが、私はけっこう落ち込んだ。
やはり虫が良すぎたのだろうか。
10年前の教え子に、猟奇殺人の犯人を見つけさせるだなんて…。
それも、人のオーラの色を見分ける超能力を当てにするなんて、考えるまでもなく荒唐無稽な話である。
第一、あれは子どもが言ったことであり、それを真に受けること自体…。
くよくよ考えていた時だった。
「でもね。その子の父親が、母親を殺すって事件があったんでしょう? それなら、警察とか、犯罪捜査に詳しい人間のほうが、向いてるんじゃないかって思ってね。その、榊健斗だっけ? その子どもを探すのに。だからきょうはね、特別にこの子を呼んでおいたの」
「ういっす。浅香瑠璃です」
校長の紹介に、アスパラガスみたいな髪の娘が、頭を下げた。
黒地に白いロゴの入ったTシャツ。下はあちこち破れたダメージジーンズという、ストリートチルドレンがそのまま成人したような女である。
「ルリちゃんはね、こう見えても、私立探偵なの」
何か重大な秘密を告げるかのように、声をひそめて校長が言った。
「は?」
この時私は、それこそ鳩が豆鉄砲でも喰らったような間抜けな顔をしていたに違いない。
「風俗と掛け持ちですけど」
痩せた肩をすぼめて、それまで沈黙を保っていたルリが言う。
「でも、こう見えても自分、一応、ちゃんとした個人事業主なんで」
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