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#5 契約成立
駅からタクシーを奮発したが、青山さんの家についた時には、周りはすっかり暗くなっていた。
「すみません、遅くなってしまって」
インターホンに応えてドアを開けてくれた青山さんに、私は駅で買った土産物の紙袋を差し出した。
「そんな、気を使わなくてもいいのに。慎吾ちゃん、いい子にしてたんですよ」
今呼んできますね。
パタパタとスリッパの音を立てて、小太りの身体を左右に振りながら、青山さんが廊下を駆けていった。
手持ち無沙汰に私は周囲を見回した。
何度も来ているけど、いつ見ても広い玄関である。
うちのマンションの玄関の倍はありそうだ。
右手の壁、靴箱の上に額に入れた2枚の写真がかかっている。
手前の写真は、古き良き時代の農村といった感じの風景で、もう一枚は鏡のように凪いだ湖の写真である。
どちらもモノクロなので、自己主張しすぎず、控えめなところが好ましい。
ぼうっと写真を眺めていると、みちるちゃんに手を引かれた慎吾が奥のほうから歩いてきた。
「おばさん、こんにちは」
ツインテールのよく似合うみちるちゃんが、明るい声であいさつしてくれた。
「『こんにちは』じゃないでしょ。『こんばんは』でしょ」
ふたりの後ろからついてきた青山さんが、小姑みたいに突っ込んでいる。
みちるちゃんに手を引かれた慎吾はいつものポーカーフェイスだが、気のせいかなんとなく顔が赤い。
この子でも異性を意識することがあるんだ。
そう思うとちょっぴりうれしくなった。
慎吾の手を引いて帰路につきながら、私は瑠璃との会話を思い返していた。
「よかったら、なんでその子、探してるのか、教えてもらえませんか」
欠食児童のようにすごい速さで食事を終えると、アイスコーヒーをごくごく飲み干して、彼女が訊いたのだ。
別に教えなければならない義務はなかった。
第一、私はまだ彼女に調査を依頼するとも明言していない。
が、気がつくと私は、あの陰惨な三つ子殺しから始まって、そこから思いついた10年前の榊健斗の絵のエピソードまで、残らず話してしまっていたのだった。
ある意味それが瑠璃の人徳みたいなものなのかー。
あんなフーテンみたいななりをして、瑠璃は他人の懐に入り込む天性の才能を持っているのかもしれなかった。
「ずいぶん、乱暴な話に聞こえますけど」
私の話を聞き終えると、開口一番、瑠璃が言った。
「その榊健斗に、悪のオーラを感知する能力が備わってると仮定して」
悪のオーラ?
私はそんな言葉は使わなかったのだが、瑠璃の意訳は言い得て妙だった。
「16、7歳の子どもに犯人を追わせるってのは、ちょっち危険すぎませんか」
「それは私も考えたわ。だから、絶対彼を危険なめに遭わせないように、私たち大人がガードして…」
「私たちって誰です?」
「たとえばPTAのメンバーとか…」
「PTA?」
瑠璃が鼻を鳴らした。
「やっぱり、ダメかな」
私は弱気になり、上目遣いに相手の顔色をうかがった。
「いえ」
否定されると思いきや、あっけらかんとした口調で瑠璃が言った。
「でも、面白いと思います。そういうの、自分、割と好きなんで」
「そういうの?」
「少年探偵団みたいな」
「少年…探偵団?」
「中年探偵団でも、熟女探偵団でも、どっちでもいいですけど」
「もしかして…からかってる?」
「いえ。楽しんでるだけです。じゃ、明日までに調べときますから、自分、きょうはこれで。これからヘルスの仕事、行かなきゃなんで、すみません」
「え? あの、私、まだ」
「校長の頼みなんで、調査費無料でいいっす。でも、本音を言えば、交通費は出してほしいっす」
こうして私は、生まれて初めて、私立探偵なるものを雇うことになったのだ…。
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