検体

2/5
前へ
/39ページ
次へ
 だがそれより恐ろしかったのは、そのとんでもない注射針を父親があっさりと受け入れたことだ。  裕貴のベッドの隣に座った父は半袖の左腕を出し、利き手の方がいいんですかねとつぶやきながら注射を待った。太い針がすっと肌に近づき、皮膚に触れる。瞬時に心臓が冷え、思わず両手で目を覆った。数十秒待ってから恐る恐る目を開けると、ちょうど父が採血を終えたらしく、鈴城に止血用のパッドを貼られていた。  どう考えても納得できない。いきなりやってきて採血をしますなどと言う鈴城の神経も、それを簡単に許す両親も。  そして何より、陽稀は鈴城が逃亡をはからなかったことに驚いていた。金を騙し取ったら普通、さっさととんずらをこくものではないのだろうか。最悪通報のリスクだってある。どうして何度も陽稀たちの前に現れ、素顔を見せてまでサンプルなんてものを要求しているのか。  蘇生治療とやらについて話したあの夜、渡されたケースの中の金額では不満だったのだろうか。そんなことはあり得ない。欲深い人間でも十分に満足できる額だったはずだ。  もしくは、蘇生治療というものの信憑性を高めようとしているのかもしれない。  アメリカの研究者がクローン人間を作ったのも、ここ数年で移植技術が大幅に進歩し、海外では神経移植とその接合を含む成功例がいくつかあるのも事実だ。だが、話だけでは信じてもらえない。  もっと自分の言葉を信じてもらうためには、そして蘇生治療を現実に行うのだと思ってもらうには、(かた)ること以外の行動が必要だ。そう思ったのか。  何にせよ、鈴城が金をもらった瞬間に逃亡せず、こうして何ヵ月も自分たちの前に素顔をさらしたことを受けて、陽稀の中ではある疑念が湧いてきていた。  ──もしや、この鈴城という男は本気で「蘇生治療」を行うに足る技術を持っているのではなかろうか。そして兄の蘇生をすることが、真の目的なのではないだろうか。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加