序章

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「本当?何の用事かしら。新しい薬が開発されたとか」 「兄さんの病気を治す薬が?楽観的すぎるだろ。そんなにぽんぽん薬って完成しねえよたぶん」 「まだ完成していなくても、開発途中かもしれないだろう。あそこに集まるってことは、またこっそり教えてくれるんだと思うぞ」 「そうねえそうねえ、鈴城先生のことだから教えてくださるに違いないわ」 「今度はいくら払えばいいかな。とりあえず1千万じゃ安いよな」  ただならぬ会話が飛び交い始める。この部屋の前を通る者はほとんどいないが、それでも両親は声を潜めることを忘れない。例の場所に集まって話すことがいかに危険か、わかっているからだ。  いつからおかしくなり始めたのだろう。考えても無駄だった。大事な息子とは言え、目を覚ます日のために何千万も注ぎ込み、挙げ句は人に言えないようなことまでする親がときおり不気味に感じられる。  裕貴の高い入院費を稼ぐため、両親は毎日働きづめだ。今日は数カ月ぶりに平日休みが合ったことで共に見舞いに来ている。  他の親戚は皆遠方住まいで、この病室に来るのも陽稀たち3人だけだ。陽稀も見舞いに来るとはいえ、ベッドの側に座って大学受験のために参考書をめくっているだけである。裕貴が入院し始めて5年が経とうとしていた。未だに諦めていないのは両親だけだ。  陽稀は、眠り続ける兄をじっと見つめた。体はもう動かないが、脳は生きているのだと医師の鈴城は言う。だからなんだと思った。明確な意思表示もなければ、閉じたそのまぶたを開くこともない。成長期を過ぎた体に投与される栄養は最低限なおかげで、今や身長も陽稀とたいして変わらない。  目覚めても苦しいだけなのではないか。そんな考えに蓋をするようにして首を振ると、陽稀は狭い壁にもたれかかり、話し続ける父母と兄を見守った。
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