契約

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契約

 いつもの場所というのは、裕貴が入院する病院から少し離れたところにある、寂れた公園だ。錆びたブランコと枯れかけの雑草が風に揺れる敷地内に、陽稀は足を踏み入れる。前を行く両親は意気揚々としたようすで足取りも軽く、のんびりしていれば置いていかれそうだ。  湿った空気が体にまとわりつく。雨の匂いが鼻腔くすぐった。病院にいたときには感じられなかった梅雨の気配が、10時をまわった今でも色濃く残っている。  蒸し暑い空気を払おうと顔を手であおいだ。学ランの前ボタンもとっくに開けているが、ほとんど意味をなさない。暑いからはやく帰りたいな、と軽くあくびをした。  オレンジ色の街灯にぼんやりと照らされたブランコが、色褪せた滑り台の側に立っている。公園の周りに木が立ち並んでいるせいで、明かりはそれきりだ。  隣のベンチに腰掛けるのも億劫なようで、両親は立ったままそわそわと入口に目をやっている。父が大きめのジュラルミンケースを持っているのに気づいた。  常緑樹に囲まれたこの公園は、周囲の人通りも少なく、車の往来もない。道路をひとつ挟んだ向う側にある住宅街も常に明かりがついていないので、秘密の話をするのにはぴったりなのだ。鈴城が両親に何かを持ちかけるときは、いつもここが集合場所となっている。  肩より高い位置に蝉の声がひしめき合う中、不意に砂利を踏む音がした。数歩先にいる両親が顔を輝かせたので、つられて陽稀も後方を見やった。  裕貴の担当医である鈴城は、紺色のTシャツにグレーのジーンズを合わせ、闇に溶け込むような出で立ちだった。七三分けにして後ろにまとめた黒髪が、医者らしからぬ雰囲気を醸し出している。夜なのにサングラスをかけていることも相まって、がらの悪さが目立つ。しかしこれからする相談のことを思えば、妥当な格好なのかもしれない。 「お待たせしました。ちょっと長引きましてね」  気取った口調で鈴城は言い訳を並べた。無言で立ち止まっている陽稀の左右を両親が通り過ぎ、興奮気味にささやく。 「いえいえ、とんでもありません。鈴城先生にはいつもお世話になっております。それで、お話というのは」 「まあ、落ち着いてください。今回のお話は本当に特別なんですよ。普通の患者さんにはちょっとやそっとじゃ教えられない、秘密でしてね」  たちまちのうちに群がった父と母を華麗に交わしつつ、鈴城が片手を出した。その言葉にはっと気づいた父が、引きずってきたジュラルミンケースを開ける。中身は陽稀には見えなかったが、欲深い鈴城を満足させられるだけの金額がおさまっていることは想像できた。
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