逃走

5/5
前へ
/54ページ
次へ
「ちょっと兄ちゃん、なに店ん中で座ってんだよ。買い物終わったらとっとと帰ってくんない?」  頭上から投げつけられた言葉に、陽稀の意識は一気に回想からさめた。慌てて見上げると、先ほど陽稀を見て舌打ちをしてきた店員だった。スマホを片手でいじりながらため息をついている。 「す、すみません」 「謝罪してほしいんじゃねえよ。てか兄ちゃん、見たところ高校生くらいだろ。このまま何もせずに居座るなら、警察呼んで補導とかしてもらうからな」 「すみません、すぐ帰ります・・・・・・」  立ち上がると同時に頭を下げ、急いで出口へと向かう。無慈悲に開いた自動ドアが、押さえつけてきた寒さを解放した。まだコーヒーの温もりが残る手を握りしめ、冷えた空気の中に飛び出した。  どうしたものかと途方にくれる。家を出るために準備した荷物は全て持ったはずなのだが、先ほどレジで忘れ物に気づいたのだ。  何年も前につくった自分名義の口座のキャッシュカード、あれを忘れたら手立てはない。貯蓄額は中学生と大差ないが、これからほぼ無一文なしになる陽稀には必要なものだった。生家にもう一度顔を出す気は毛頭なかったが、家に戻らねばなるまい。  仕方なく、陽稀は家に戻ることにした。両親の奇行もだいぶまずいところまでいってしまっているが、鈴城にされたことを思えばましだ。彼がいないならば、まだ帰れる。  それに、あの店員の言う通り今だけは帰った方がいいかもしれない。冬休み中に補導されるのはまっぴらだった。今は進路のためにも大事な時期だ。素行不良と教師に思われるのは避けたかった。  陽稀は両腕を抱えながら、せかせかと歩き出した。最悪の相手がいないとしても、飛び出してきた家に戻るのは気まずい。鈴城に掴まれた腰のあたりをさすりながら、何と言って玄関ドアを開けようかと考える。  実際に家の前に立ってもまだ、最初の一言は決まっていなかった。謝ることではない。だが、怒りをぶつける場面でもない気がする。そもそもどんな感情をぶつけるのが正解かどうか決められず、結局明日の自分に任せることにした。無言で鍵を開けて玄関にあがり、靴を脱ぐ。  そこで違和感に気づいた。靴が1足多い。 「お帰りなさい、陽稀さん。最後の検体が残ってるので、まだ私も帰れないんですよ。あと4ヶ月あれば裕貴さんのクローンは完成するんですが、やっぱり一部サンプルが不足してまして」  不気味な笑顔が待ち受けていた。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加