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◇ 「はい、これお嬢ちゃんの分のお釣りね」  お互いにお皿が空になって、北条くんの「そろそろいい時間だから」という提案でわたしたちはお店を出ることになった。先に自分の分を払い終えた北条くんは、お客さんの邪魔になるからと先にお店に出て待っていてくれていた。  店主さんの皺くちゃな手から小銭を受け取ったわたしは、軽く会釈し立ち去ろうとする。正直気が抜けていた。ぼうっとしていたせいで、不意に背後からかかった声を聞き逃しそうになった。 「お嬢ちゃん──まだ、諦めるには早いと思うよ」  心臓が、どくん、と跳ね上がる。振り返って聞き返そうかと思ったものの、その時にはもう既に背中を向けられていた。狐につままれた感覚で、彼が厨房に戻っていく様をしばらく見つめる。  きっと超能力者か預言者のどちらかだよね──ふと冗談交じりに交わしていたあの会話のことを思い出す。あの店主さんは何処まで察しているんだろう。もしかして本当に未来が見えているのかな。沸々と胸騒ぎがしたものの、それを上手い具合に呑み込んでわたしは踵を返した。  北条くんとは、その後二言三言交わしてそのまま別れを告げた。  多分、気を遣ってくれたんだと思う。わたしの帰りが遅くなっちゃうことを危惧して。本当に彼は残酷なまでに優しい。この胸の中に無謀な恋心を植え付けてくるぐらいには。  わたしはこれからどうすればいいんだろう。  もっと攻めに行った方が良いのかな。でも、もし本当に北条くんが茉子ちゃんのことを気になっているのなら、恋人になるどころか友達の立場すら脱却されるんじゃないのか。  こんな想いをするぐらいだったら、運命的な遭遇なんて要らなかった。  商店街の建物の隙間から、細い月が顔を覗かせてくる。見れば円球の大部分が、黒い影で埋め尽くされている。それでも微かな光は、わたしの荒んだ心を少し強引に洗い流そうとしてくる。  わたしの胸に、ぽっかりと穴が空いている。
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