1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

 日が沈んで月が昇る時、いつもあなたのことばかり考えてしまう。  まともに会話できるのは一週間に一回、大学のゼミの時だけ。他に見かける時はあっても周りに誰かしら友達がいるから話しかけにいく勇気が削がれてしまう。  何度、自分の内気な性格を恨んだことか。度胸はないくせに、日々あなたに対する想いだけは埃のように積もっていく。このままだと、いつか「あの子」に取られちゃう。  帰り道も反対側。今日も会えなかったと落胆しながら、わたしはほんのり明るい群青の夜空をぼうっと見つめる。一歩足を踏み出す度に、視界の中で細い月が揺れる。まるで海の底から覗いているみたいだ、とそんな子供みたいな空想を膨らませてみる。  駅前の通りを真っすぐに進み、妙な気まずさと孤独感から逃れるために視線を泳がせる。その最中、普段は見ない不思議な光景が視界に入ってきて思わず歩みを止めた。商店街の裏路地。居酒屋やラーメン屋の建ち並ぶ一端で、西洋風の大きな角灯が幻想的な光を放っていたのだ。  やんわりと湧いてくる好奇心に身を任せ、わたしは角灯の元へと歩み寄る。  喫茶・月天心──木製の看板に可愛らしいフォントで書かれた店名は、煉瓦のタイルが張られた建物の入口付近に掲げられていた。窓から中をちらと覗くと、然程広くない店内にたくさんの大学生が各々好きな形で寛いでいる。  何年も存在に気付かなかったけど、有名なお店だろうか。まあ、でも一人で入るにはちょっと抵抗がある。外装だけぐるりと見回してから、わたしは踵を返そうとした。 「……あ」 「…………えっ」  振り返ったところで、身体が硬直してしまう。真っ先に目を疑った。なんで、と口から出そうになるのを上手く呑み込んだ。そこにいたのは、本来ここに来るはずない人物。 「名倉じゃん、奇遇。何してんの?」  同時に今わたしが一番会いたがっていた人物。  普段と変わらないその気さくな笑顔が、凝り固まった心臓を徐々にほぐしていく。あった瞬間は緊張するのに、会話さえ始まれば不思議と安心感で満たされる。やっぱりわたし、この人のことが好きだ。 「北条くんこそ、帰り道反対側じゃなかったっけ? どうしたの?」  そう問いかけると、彼は「ああ」と思い出したように声を上げる。 「実はずっと行きたかった喫茶店が、今日ちょうど開店日でさ。チャンスを逃すまいと思って、反対側だけど直行したってわけ」 「うん? その喫茶店って──」  わたしが背後に目を向けると、北条くんははっきりと返事する。 「そうそう。月天心っていうお店なんだけど、ここの店主が結構癖強めでね。もしかして、名倉も興味あったりする?」 「あ、えっと……うん、まぁ興味はあるかな。ちょうどさっき見かけたところで」 「マジ? そしたらせっかくだし一緒に入ろうよ。このお店、女性客が多いから男一人だと入りにくくてさ。正直居てくれるだけでも助かるんだよね」 「なるほど。それならお安い御用だよ」  嘘をついた。興味云々の前にわたしは喫茶店と相性が悪い。珈琲が苦手なのだ。いつまでも子供舌から脱却できなくて。だけど、北条くんとの時間を過ごすためだと考えればこれぐらい大したことない。  胸を躍らせて、という言葉がぴったりなほど軽やかな彼の足取りを、わたしは一歩引いた場所から付いて行く。扉を引けば、仄かに温かい照明と焼成された渋い豆の香りがワンテンポ遅れて迎え入れてくれた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!