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01 半世紀前・シベリア北部
***
「ユーリ、何処へ行ったの?」於女香は父親に尋ねた。
「施設を出て、生まれた町へ帰ったのよ」応えたのは母の方だ。
隣室に住む仲良しのお兄ちゃんが居なくなって、於女香はとても寂しい。すぐに偉そうな態度をとる姉より、やさしいユーリの方がずっと好きだ。
あの子は処理されたんだ、きっと。そんな呟きが両親の間で交わされたけれど、5歳の幼女に言葉の意味はわからなかった。
ユーリはいつも成績が良くて先生に褒められていた。衝立のむこうにあるカードの絵柄を当てる勉強では、驚くほどの的中率だった。
それが、ちょっと前から当たらなくなった。もう全然あたらない。
「クスリが強すぎたか」先生たちは、難しい顔でそんな話をしていた。クスリというのは頭を良くするクスリだ。於女香はそう教えられている。
間もなくユーリは病気になった。頭が痛いと言って、勉強を欠席するようになった。
その日、友達とかくれんぼをしていた於女香は、少しばかり調子にのった。配管が何本も通る壁の隙間をくぐり抜けている内に、見たことのない通路に出た。
壁が黄色く塗られた場所だ。立ち入ってはいけないと言われている黄色い区画。戻ろうとしたところに、奥から足音が近づいてきた。於女香はあわてた。狭い隙間に躰をねじ込むヒマがない。
見つかる。叱られる!
足音と反対方向へ通路を逃げた。半開きのドアがあったので、そこへ入って隠れた。
灯りの点いていない部屋は倉庫のようで、たくさんの薬品や機材が置かれていた。奥に垂れたカーテンのむこうは明るく、人の気配がある。
忍び足で寄って、カーテンの隙間から覗いた。
看護婦の白衣の背中が見えた。ベッドに向いて立っている。
病室らしいが、その部屋も壁は黄色く塗られていた。
どうしよう。泣きそうになる。
そのとき、看護婦が横へ移動した。
看護婦の陰になっていた、ベッドに寝ている人の顔が現れる。
ユーリだった。
ユーリの頭は、髪の毛という帽子を脱いでいた。皮ごと脱いだ部分に、ピンクのシワだらけの肉が剥き出しになっている。ピンクの肉には、コードの付いた針が何本も刺さっていた。
於女香は息をのんだ。後ずさった足が何かの壜を倒した。
その音に反応して、ユーリの碧い瞳が、ギョロリとこちらを向いた。
於女香は悲鳴をあげた。
目の前に、白い光が炸裂した──
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