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『やめなさい!』声が響いた。
その場に居た者が一斉に周りを見回した。声の方向が不明だったからだ。
シュウは気づいた。これは高藤の声と同じ。精神感応だ。各自の脳に直接語りかけている。
於女香が横たわる寝台の脇に、等身大の淡い光が現れた。光量が増してゆき、揺らめく虹色の中に女性の姿が見える。
白いローブ状のワンピースを着たアジア系の女性だ。化粧のない顔は三十代後半だろうか。柔らかな輪郭の、〈母〉を連想させる顔だ。
シュウには日本人に見えたが、見る者それぞれが母国人と思うのではないか──そんな直感があった。
〈太母〉だ──慈しみ、包み込んでくれる者。
心理学者ユングが、ヒトの集合的無意識の中に存在すると説いた、母の原型。タロットカードなら〈女帝〉――地母神に当たる。
サイキック・ネットワークを統括する女性が居る。その女性は〈マザー〉と呼ばれる──高藤はそう言っていた。
彼女が、マザーだ。それは確信だった。
一方の劉は、この場の事など忘れたように、光の中の女性を見つめている。
「やっと逢えたな、マザー……」虹色に映える顔には喜悦が浮いている。「さあ、投影など止めて実体化しろ!」
劉は彼女を知っている。
なんてことだ。これまでの騒動は、まさか、マザーを呼び出すために演じられた、天の岩戸の前のドンチャン騒ぎだとでもいうのか!
光の女性は、柔和な瞳に鋼の意志を湛えて、帝王と対峙した。『アナタに用は無いわ、劉銘』
「こっちは用があるのだ! ここへ出て来い! ひれ伏すか、闘うか、選べ!」
劉が興奮している。いつも冷笑を浮かべ余裕を持て余す男が、憧れのアイドルに逢えた熱狂的ファンのように舞い上がっている。
マザーは穏やかな態度のまま、於女香の裸の背に、いたわるように手を添えた。『この娘はワタシが預かる。アナタには渡さない』
「なんだとォ!」劉は掴みかかろうとするが、足が止まる。
マザーを包む光が結界であるかのように、近づけない。
『劉銘、アナタの設問は誤りよ』
「何だと」
『神が居たとしても、悪魔と戦いはしない』
「ほお。では、何のためにソイツは居るのだ」悪魔の代理人は応えを待つ。
『神は、ただ、赦すのみ』
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