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大変なことに
逸子は、ほんの子供のころから、いつも自分の目の上にある黒子が気になっていた。
二重瞼の一番目尻寄りの所の、ぱっちり開いた眼の上に5mmほどの黒子があるのだ。
少し、膨らんでもいるので、結構目立つ。
普段、ものをみるのに不自由はないが、上目遣いで黒子を見ようとすれば微かに黒子の隅が視界に入ることを発見していた。
逸子はついつい気になって、上目遣いで黒子を見ているのを、いつも母にとがめられていた。
「逸子。その顔やめなさい。怖いのよ。思いっきり目の中が白目になっていて。もてないわよ!」
逸子がついつい黒子を見ようとすると、黒目のほとんどが瞼に隠れてしまって、まるで白目を剥いているように見えるらしい。
でも、それは、黒子を見ようとしている時なので、鏡でも見えないし逸子はそんなに気にしてはいなかった。
やがて、逸子は中学生になり、その日も休み時間についつい黒子が気になって、眼の端で追っていた。その時、
「こわっ!」
男子の声がした。
見ると、逸子がひそかに憧れていた、斉藤君だった。
斉藤君は活発で、いつもクラスのムードメーカーだったし、茶髪でクリクリの可愛い髪の毛をしている。
逸子は、慌てて、黒子を見るのをやめたが、時すでに遅し。
斉藤君は、逸子の物まねをし始めて、クラスでも逸子の白目に気づいていた何人かが、ばか笑いをしていた。
逸子はさすがにまだ授業があるので我慢していたが、その日、授業が終わると、一目散に家に帰った。
『こんな黒子があるからいけないのよ!』
逸子は、摘まめるほどに大きな黒子を指でつまむと、引っ張ってみた。
目の上は、皮膚も薄く軽い痛みを伴ったが、驚いたことに引っ張った分、黒子が飛びだしてきた。
『えぇ?これって、もしかして、全部引っ張ったらとれるとか?』
中学生の逸子は、浅はかな事を考え、飛びだした黒子を、あまり痛くないようにそっと引っ張り始めた。
伸びる。伸びる。やがて、5mmの円形の黒子が逸子の両目で普通に見えるところまで伸びた。
しかし、さすがにスポンと抜けるわけもないし、眼の上とつながったままだった。
そうなると、今度は、出たままでは困ると、もどそうとした。
しかし、どうなっているのか、一度出てしまった黒子は戻らなかった。
「おかぁさぁん、どうしよう。」
逸子が困り果てて、パートから帰った母親を、黒子が飛び出たままの姿で迎えに出た。
「あら、引っ張ったわね?せっかく、上手く畳んで入れ込んでおいたのに。」
聞けば、生まれたときに流石に今よりは細いが、眼の上に何やら黒いものが飛びだしていたので、医師に聞くと、黒子だという。しかし、血管を巻き込んでいるので、赤ちゃんの細かい血管では、手術での切除は難しいと言われた。
大人になれば、血管も太くなるので、手術するときも少しは簡単になるかもしれないと言われ、その小児科医の手先の器用な技術で黒子を細かく畳んで目の上の二重のくぼみに押し込んであったのだという。
そして、その周りを少しだけ縫って、黒子が飛びださないようにしておいたのだ。
今回、引っ張ったことと、小さい頃よりも顔の皮膚が延びていたので、縫ったところが取れてしまい、黒子が引っ張った分だけ伸びたという訳だ。
さて、これは、小児外科だろうか?形成外科だろうか?
母親は悩んだが、最初に織り畳んでくれた、産婦人科にいた小児科医を探し出した。
逸子は何とか黒子を丸めて、眼帯の中におさめ、医師を訪ねた。
「ほほう、大きくなったねぇ。で?黒子を引っ張っちゃった。まぁ、気になるもんねぇ。」
小児科医は、事も無げに言うと、逸子の伸びた黒子を片手で持って、銀色の医療用の盆に下ろすと、黒子の出口である目の上の診察を始めた。
しかし、顔色がだんだん青くなっている。
「先生?」
「ううん。。この黒子、まだまだ奥にもあるねぇ。多分、引っ張ったらもっと出てくるよ。僕では見たことの無い症例だから、大学病院の皮膚科で詳しく検査してもらって、それから今後の事をそちらで話し合ってください。」
逸子と母親は、紹介された大学病院の皮膚科にその日のうちに行った。
珍しい症例という事もあってか、すぐに検査がされた。CTをとり、黒子の位置や、深さ、血管の位置などを詳しく診る。
皮膚科医は、
「あの~、もう一度、CTよろしいですか?この黒子出ているのは目の上ですけれど、もっと奥に、根があるみたいで。」
「根?」
「えぇ。体の中へとずっと続いている様なんです。」
逸子は、あのまま引っ張り続けなくて良かったと、心底思った。
全身のCTをとると、何と、黒子は逸子の臍の裏側から続いているという。
「これって、もしかしたら、双子さんだったのが、お腹の中でくっついて変形したものではないかと。」
たまにきく話だ。子宮の中でくっついた双子が片方の子供のおなかから異物となって取り出されるという話。もしくは吸収されてしまい、分からななる場合もある。
逸子の場合、最初は双子だったが、妊娠のごく初期の時に、逸子のへその緒に一緒にくっついて、黒子のような色で何だか長い物に成長したという事らしい。
「どうすればいいんでしょう?」
困惑した母親が聞く。
「すべて繋がっているのですが、表に出ている所を切り取れば、内臓には問題ないので大丈夫かと思います。ただ、また同じところに臍から繋がった黒子が出てくる可能性はありますね。」
「でも、可能性ですよね。それに、引っ張ったりしなければ、黒子が自分から伸びてくることはないですよね?」
「ううん。さすがに、初めての症例なので、やってみないと何とも。それに目の上の血管を巻き込んでいるので、形成外科も呼んで傷がなるべく小さくて済むように手術に臨みたいと思うのですが。」
「逸子どうする?切ってもらう?」
「切らなきゃどこにも出かけられないじゃない。先生。切ってください。もう、黒子が出てきても二度とさわりません。」
そうして、逸子は、出てきていしまった黒子を切り取る手術に臨んだ。
手術には5時間もかかり、血管もしっかりと分け、結紮し、黒子の元も、一応伸びないように焼いて結紮した。
手術後は、目の上の黒子も無くなり、ぱっちりとした二重の綺麗な目になった。
そのまま逸子は大人になって、結婚し、子どもが生まれた。
生まれた子供の臍の横から、なにやら黒いものが出ている。
「先生、これは何でしょう?」
逸子は恐る恐る聞いた。
「黒子だと思いますが、血管を巻き込んでいて、今は手術が難しいですね。小さく畳んで臍の横に縫って小さな黒子に見えるようにして止めておきましょう。」
逸子は、子どもには、決して黒子を引っ張らないように、小さい頃から厳しく目を光らせるのだった。
【了】
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