私の実家はお弁当屋さん

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私の実家はお弁当屋さん

 今日も店の昼時は恐ろしいほど混み合う。  朝から仕込みをしておいたお総菜が足らなくなって、急遽作り足したところだ。  今日のメインのおかずは揚げ物とチキンの南蛮焼きとハンバーグの三種類。  付け合わせのお総菜はなんとなくで二種類組み合わせて。  お新香とサラダ。  キッチンカーでも売りに行くけど、メインはこっちのお弁当屋さん。  もう足が悪くなった母と、腰が痛い父にかわって、兄嫁が主に店頭に立って店を切り盛りし、私は横でお手伝いをする。  奥で父が揚げ物をして。母がお惣菜を作り、漬け物を漬ける。  家族経営なんて言ったら聞こえがいいけど。毎日なんとかみんなで回してやってる小さなお弁当屋さん。  お客さんは近所の常連さんと、近くの学園の学生さんたち。彼らなしにうちの売り上げは成り立たない。  だから、少々気にさわるお客さんにも笑顔で対応し、またのご来店に繋げていく。  憧れのキッチンカーでのお仕事は、またそれとは違って、大変だけど楽しい。  兄さんがうん百万円で購入した中古のキッチンカー。やっと手に入れた兄さんだけの城だ。あたしも時々それに便乗して、街なかを売り歩く。  道の駅やショッピングモールやオフィス街の一角で許可をもらって。  それが何より楽しい。  だから、メインのお弁当屋の仕事だってなんとか乗り越えられる。二階の実家はいつも油の匂いが上がってきていた。生まれた時からそんな環境。  昔は栄えた商店街も最近じゃ、年よりの社交場みたいになっているけど。   それでも行き交う自転車や、ご近所同士の威勢のいい挨拶と笑い声、駆けずり回る子供たちにほっとする自分がいる。  そんな毎日を過ごす私も高校を卒業する。  母さんがたっての希望だったミッション系の私立のひかりケ丘学園の中等部を小学生でお受験をして。そしたらなんとなく受かっちゃったりして。  中等部から高等部とエスカレーター式にあがり、今年、大学を受験した。   待っていたのは不合格の知らせ。  あっけなく浪人生になることが決まった。  高校生活は、予備校に通いながら、こうしてお弁当屋のお手伝いをする毎日だった。本当は、そんなに大学だって行きたくなかった。本当は、調理の専門学校に行きたかった。だけど、母親の期待を一心に背負って、いい大学を目指すふりをした。  人生、そんなに甘くない。頑張るふりなんか、通用するわけがないんだ。  とりあえず、浪人して、もう一度、大学を目指すか…。  だけどやっぱり…。  私もいつかは自分のキッチンカーを持って、日本中を飛び回りたいという夢が日に日に膨らんでいく。  それを後押ししてくれる、素敵な彼がいつも私のそばにいつもいてくれるから…
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