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夜明け
ローゼがユリアンに伴われて屋敷の外に出たのは、夜明けの光が世界を照らし始める時刻だった。
言われるままに馬車に乗せられ、ローゼは何処かへと運ばれつつあった。
ふかふかと柔らかい座席は道の凹凸を伝えてくることもなく、乗り心地は快適だ。
これまで労働させられていた屋敷から出たことのない彼女にも、今乗っている馬車が高級なものであることは分かった。
隣の座席には、兵士たちからローゼを守ってくれたユリアンが、無表情に座っている。
その整った横顔を、ローゼは時折ちらりと盗むように見た。
――やっぱり、綺麗な人……男の人にも、こんな人がいるなんて。
と、不意にユリアンがローゼの方へ顔を向けた。
彼の氷のように冷たい菫色の目に見据えられ、ローゼは緊張に身を固くした。
「……何も、聞かないのか」
ユリアンの声を聞いたローゼは、胸の鼓動がひどく大きく早くなったように感じた。
彼と視線を合わせていることに耐えられなくなり、ローゼは思わず目を逸らした。
「あ、あの……私から話しかけたりしたら……叱られると思って……」
ようやく、それだけ言って、ローゼは俯いた。
「別に、お前が話したければ好きに話せばいい。今、どこに向かっているのか、気にならないのか?」
気にならないのかと訊かれて、ローゼは考えた。
――たとえ気になったとしても、自分の意思で状況を変えることなど不可能なのだから、考えても仕方がないのではないか。
「――この馬車は、俺の屋敷に向かっている。お前の身柄は、うちで預かることになった」
言葉が見つからず押し黙っていたローゼに、ユリアンが言った。
「私は……ユリアン様のお家の奴隷になるのですか」
ローゼは、おずおずとユリアンの顔を見上げた。
「我が国にも奴隷制度は存在したが、現在は撤廃……なくなっている。だから、お前は奴隷ではないし、うちでは客人という扱いになる」
ユリアンが淡々と答えた。
突然、自身が奴隷ではないと告げられたローゼは、これまで信じてきた世界が崩れてしまうような恐れを抱いた。
「あの屋敷に来る前のことは、覚えていないと言ったな。自分が、どこの誰なのかも分からないと」
「……はい」
ユリアンに問いかけられ、ローゼは短く答えた。
「読み書きと礼儀作法くらいは覚えられるようにしてやる。それなら、どこかで働き口を見つけて、自活することもできるだろう」
――自活……自分の力だけで生活すること? そんなこと、自分にできるのだろうか。
ローゼは、ますます不安になった。
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