興味

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 エルマに夕食の時間だと告げられ、ローゼは食堂へ向かった。  食堂に入ると、食卓には既にユリアンが着席している。  ローゼは、彼と向かい合う形で席に着くよう促され、言われた通りにした。  帰宅した際にユリアンが見せた不機嫌そうな様子を思い出し、ローゼは緊張していた。 「どうした。随分と硬い顔をして」  ユリアンが、ローゼに声をかけてきた。  彼の普段と変わらぬ様子に、ローゼは少し安堵した。  「あの、粗相をしてはいけないと思って……」 「まだ、そんな風に思っていたのか。自分の家だと思って寛いでいればいい」 「自分の家……なかったので、よく分かりません……」  そう言って俯いたローゼの言葉に、ユリアンは、しまった、という表情を見せた。 「それもそうか。……だが、ここには、お前を傷つけようとする者はいない。だから、余計なことは考えなくていい」 「……はい」  ぶっきらぼうな口調ではあるものの、ユリアンから優しい言葉をかけられているのだと理解したローゼは、無意識のうちに微笑んでいた。  やがて、二人の前に料理が運ばれてきた。  具沢山なスープや野菜の盛り合わせ(サラダ)などの前菜、主菜である肉料理が香ばしく焼けた匂いを漂わせながら順に運ばれてくる。 「今日は辛子(マスタード)ソースがけか。俺の好きな組み合わせだ。お前は、何か好きな料理はあるか?」  ユリアンに問われ、ローゼは少し考えてから言った。 「ここでいただくものは、全部好きです」  前にいた屋敷で与えられていた粗末な「食事」を思えば、ローゼにとって、この屋敷の料理は全て天上のもののようだった。 「それは何よりだ」  ローゼの言葉に、ユリアンは頷いた。  空いた主菜の皿が下げられた後、甘味(デザート)と紅茶が運ばれてきた。  乳脂(クリーム)が添えられた焼き菓子と果物の盛り合わせは、目にも美しい一皿だ。 「……幸せそうな顔をしているな。初めて会った時とは別人のようだ」  甘味(デザート)に舌鼓を打つローゼを見ていたユリアンは、僅かだが口元に微笑みを浮かべた。 「あ、あの、甘いものとか、ここに来るまで食べたことがなくて……」  ローゼは少し恥ずかしくなって、顔を赤らめた。 「甘いものが好きなら、そのうち街に出かけてみるか。旨い菓子を出す喫茶店もある。この屋敷まで菓子職人を呼び寄せてもいいが、たまには外に出るのも気晴らしになるだろう」 「外に……」  ローゼが知っている「街」は、この屋敷へ移動した際に馬車の窓から覗き見た、早朝で人影もまばらなものだった。  書庫で読んだ書物から得た僅かな知識によれば、「街」には様々な施設や大勢の人間がいるというが、それらを実際に目にしたことのないローゼにとって、想像するにも限界があった。 「まぁ、急ぐ話でもないが……俺は、明日から溜まっていた休暇を消化するから、何か希望があれば、俺に直接言えばいい」  言って、ユリアンは席を立ち、食堂を出て行った。  食事を終えたローゼも食堂を出た。 「湯浴(ゆあ)みをされる際は、お手伝いしますので、呼び鈴でお呼びくださいね」  自室へ向かって歩くローゼに、エルマが声をかけた。 「それにしても、若さ……旦那様が、あんな風にお話しされるなんて珍しいんですよ」 「……そう、なんですか?」  エルマの言葉に、ローゼは首を傾げた。 「いつもは、必要なこと以外は(ほとん)ど仰らない方ですけど……ローゼ様がいらっしゃってから、お顔も少し明るくなられたというか」  自分がいることで、ユリアンに何か影響を及ぼすなどということがあるのだろうか――ローゼは意外に思ったが、口に出すことはしなかった。  一日のうち、家庭教師との勉強時間の他に空いた時間の大半を、ローゼは書庫で過ごしていた。  ユリアンが帰宅した翌日も、午後は書庫で読書をしていた。  文字が読めるようになったことで、彼女の世界は飛躍的に広がった。  まだ難解な書物を読むのは無理だったが、子供向けに書かれた物語の本を見つけたローゼは、それらを夢中で読んだ。  悪人に囚われた姫君を救う王子の話を読んだローゼは、何とはなしにユリアンの姿を思い浮かべた。  と、書庫の扉が開く音に、ローゼは振り向いた。  そこに立っていたのは、ユリアンだった。  彼は、ローゼの傍まで歩いてくると、口を開いた。 「ここにいたのか。お前くらいの歳の女たちは、皆、流行りの服だの化粧だのにしか興味がないものだと思っていたが……何か、面白い本はあったか」  ユリアンの菫色の目に見つめられたローゼは、頬が熱くなり、胸が少し苦しくなるのを感じた。 「今は、物語の本を読んでいます」 「もう、そんなものを読んでいるのか。つい最近、読み書きを学び始めたばかりだというのに」  ユリアンが、少し驚いたように目を見開いた。 「本には、私の知らないことが沢山書かれているので……私、何も知らないまま生きていたから、もっと、色々なことを知りたいです……」 「そうだな。人間であれば、そう思うのは自然なことだ」  ユリアンは頷くと、書棚を見上げて、一冊の書物を手に取った。それは難解な数学の書物で、今の自分には、とても手が出せないものだとローゼは思った。 「……ユリアン様も、本が、お好きですか?」  ローゼは、恐る恐る尋ねた。  奴隷のように扱われていた頃の感覚が完全に払拭されておらず、他人に自分から質問するというのは、彼女にとって勇気の要ることだ。  それでも、ローゼは、ユリアンに対して、少しずつ興味が強くなりつつあった。 「ああ。仕事の書類ばかり読んでいると気が滅入る。休暇でもなければ、自分の好きな分野の書物など読めないからな」  ユリアンが、肩を竦めて言った。 「……今、私が読んでいる本に出てくる王子様が、ユリアン様みたいだと思っていました」  ローゼは、思っていたことを、つい口に出してしまってから、急に恥ずかしい気持ちが湧いてきた。 「その本か。では、お前は囚われの姫君というところだな」  ローゼが手にしている本の表紙を見て、ユリアンが、くすりと笑った。  いつも、感情をあまり外に出さない彼の笑顔が、ローゼには眩しく思えた。   「わ、私は、お姫様なんかじゃないです……」  ローゼは頬を染めた。  本に出てくる、美しく高貴な姫君と自分とでは、天と地ほどの差があると思った。  「そう謙遜ばかりするな。お前が美しいというのは事実だ」  言って、ユリアンは(きびす)を返すと、書庫を出て行った。
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