悼む花

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悼む花

 エーデルシュタイン家邸宅での生活にも慣れてきたローゼは、この日、庭と言うには広大な敷地を散歩していた。  かつて働かされていたデリウス子爵邸では、外に出ることすら許されなかった彼女にとって、陽の光の差す外界は、何もかもが新鮮だった。  庭師たちが常に美しく整えている庭木の間を通り抜け、色とりどりの花が咲き乱れる中を歩いていたローゼは、一本の大きな木と、その根元にある小さな土饅頭の存在に気付いた。  土饅頭の周囲には、数種類の小さな花々が植えられている。  計算された作りの庭園の中で、その一画(いっかく)は均衡を乱しているようにも見えた。 「ローゼ様、こちらにいらっしゃいましたか」  背後から声をかけてきたのは、執事のエルンストだった。 「お茶の時間なので、呼びに参りました」 「ご……ごめんなさい。探させてしまって……」 「いえいえ、お気になさらず」  首を竦めるローゼに、エルンストは優しく言った。 「……それが、気になりますか?」  エルンストが、土饅頭に目をやった。 「あ……その、突然、こんなところにあるから、不思議だと思って」 「それは、墓です」 「お墓……ですか?」  ローゼは、エルンストの言葉に首を傾げた。 「墓と言っても、若さ……旦那様が飼っていらした犬の墓ですが」  エルンストは言って、遠くを見るような目をした。 「あれは、もう二十年近く前になりますか……まだ幼かった旦那様が、ひどく汚れて瘦せこけた子犬を拾ってきたのです」  彼の話によれば、ある日、幼かったユリアンが、屋敷の外から、親とはぐれたらしい子犬を連れ帰ったのだという。  放っておいたら死んでしまうと、ユリアンはエルンストに手伝わせて子犬を手当てした。  しかし、それを見た先代の当主、つまりユリアンの父は嫌な顔をした。 「犬が欲しいのなら、知り合いに頼んで綺麗な血統の良い子犬を取り寄せてやる。そんな惨めたらしくて汚い犬は捨ててくればいい」  父の言葉に、ユリアンは反発した。 「僕は、この子犬を助けたいのです。別の犬なんて、いりません」  普段は大人しく親に従っていた息子に反抗され、戸惑った父だが、この時ばかりは頑として譲らないユリアンに根負けして、拾ってきた子犬を飼うことを許可した。 「旦那様は、子犬にリベロと名付けて、懸命に世話しました。その甲斐あって、リベロは見違えるように元気になりました」  ユリアンに可愛がられて成長したリベロは、賢く美しい犬となった。  その後、ユリアンは全寮制の学校へ入学した為、リベロに会えるのは休暇の時だけだった。  普段はエルンストが世話をしていたが、それでもリベロはユリアンを主人と認め、顔を合わせれば大喜びして甘えた。  もっとも、犬と人間の寿命の違いは残酷なもので、ユリアンが成人する頃、リベロは天寿を全うし、世を去った。  そして、花で包まれた土饅頭の下に、リベロは今も眠っているのだ。 「ローゼ様も御存知の通り、旦那様は、あまり感情を露わにしないお方です。しかし、リベロが死んだ時は、何日もロクに食事が()れず、夜は、お部屋で一人、泣いていらっしゃったようでした。……私は見ていないふりをしていましたが」  エルンストの話から、ユリアンがリベロを可愛がり、そして失った悲しみに沈む様が、ローゼにも、ありありと見えるようだった。  ――やはり、ユリアン様は、お優しい方なんだ……もしも、私が死んだなら、やはり、悲しんでくれるのだろうか…… 「……ああ、喋り過ぎましたね。私が、このような話をしていたことは、旦那様には内緒にしておいていただけますか」  エルンストの言葉に、ローゼは微笑みながら頷いた。
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