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「なんだ? 胸がムズムズして落ち着かない」
少年と同じことを言い、中川は首を捻った。そして、
「困ったな。申し訳ないが、今は何も払える対価が無いんだ」
と頭を掻いた。それはまさしく、人に優しくされたらお返ししたいという感謝の気持ちの表出だった。大夢は小さく拳を握る。
分かったことの三つ目。それは『感謝という概念やそれを表すための言葉がなくても、感謝の気持ちは生じる』こと。
要するに中川は、人に優しくされたことがないから感謝をしたことがなかっただけなのだ。
感謝とは、心の底から自然と湧き上がる感情そのもの。言葉はあくまでそれを伝える手段に過ぎない。
言化けのせいで手段の方は失ってしまったけれど、優しさに触れさえすれば感謝の気持ち自体は抱けると、知らない感情に戸惑いながらも対価を持って来てくれたあの少年のおかげで気付くことができた。
そしてその気持ちを知った今なら、伝えることが出来る。
大夢は中川に優しく語りかける。
「対価なんて要らない。胸がムズムズする、と君は言ったけど、その感情が対価の代わりになるんだ」
「対価の、代わりに?」
「あぁ。そして言化けによって失われたのは、その感情を相手に伝えるための言葉たちだったんだ」
しばしの無言ののち、中川は全てを理解したようにフゥと息を吐いた。そして静かにこう言った。
「なるほどな。人類は思った以上に、尊いものを失っていたようだ」
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