運命の行方

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運命の行方

東日本大震災から1週間から10日程が過ぎようとしていた頃‥‥‥。 瓦礫の街並みを清掃している私営のボランティア・クルーの姿を少し離れた木陰で佇みながら、遠目で見つめている3人の少年少女の姿があった。 寺岡 修二、小池 拓磨、榎本 未季‥‥。 彼らは、震災での生き残りであり、其処は、岩手県宮古市田老町にある児童福祉施設である『若葉の里児童園』の跡地である。津波の影響で、施設の建物は跡形も無く全壊し、大水に流されてしまっており、その傍らには、『若葉の里児童園』と刻まれた看板だけが、寂しくも、傷付き、薄汚れてしまった姿で残されてあるばかりであった‥‥‥。 修二、拓磨、未季のそれぞれが、何故に施設に預けられる事となってしまったのか? 修二と拓磨は、四国にある徳島県徳島市内でその産声を上げたらしいのだが‥‥‥。修二は、資産家の家庭で生まれ、彼の父親は、I T関連で上場企業に上り詰めていた株式会社の代表取締役社長であった。 修二は、幼少の頃、父親の仕事の関係で、岩手県は花巻市の辺りに引越して来た。その頃の修二にとっては、其処に拡がる街並みも、その町で暮らす誰も彼もが皆、初めて出会う新世界の様であった。新天地での暮らしは、不自由する事はあるものの、それでも、修二にとっては恵まれた生活。頼れる父に優しい母。修二の将来は、約束されているかの様に思えた。 ‥‥‥‥‥しかし。 度重なる不況が続く中、突如として、修二の父親の会社は倒産に追いやられてしまう。やがて、それに因り、多額の負債を抱えてしまった修二の両親は思い詰めてしまい、我が子である修二を施設に預けたまま、自動車事故に因る心中を企てたのである。他に身寄りの無かった修二はそれ以来、『若葉の里児童園』で暮らし始める事となった。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥。。。 今となっては、修二にとって、まるで兄弟であるかの様な存在の拓磨。‥‥‥拓磨は、幼少時代の頃、母親と一緒に新幹線に乗り、東北地方へと旅行に来ていた。彼の母親の名前は、小池由香里と言った。‥‥‥彼女は、シングル・マザーであり、父親の所在は定かでは無い。拓磨は何度と無く、父親の所在を尋ねた事があったのだけれど、 「‥‥‥ねぇ、ママ。‥‥‥ボクのパパって、何処にいるの?」 それでも、由香里は、拓磨に父親の所在を話す事は無かった‥‥‥。
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