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7話 理系親子の実験スタート
一旦思い出してしまえば、デクスターの魔王姿が、くっきりとウェンディの脳裏に浮かぶ。
白蛇の下半身に人間の上半身、褐色の背には大きな黒い蝙蝠の羽、両こめかみからは禍々しいヤギの角。
哀しみと諦めが混ざった、人間だった頃と変わらぬ美しい紫色の瞳が、モニター越しにウェンディを見つめていた。
(そんな表情のデクスターを討伐するなんて、私には無理だもの)
ショック死したのも、仕方がない。
そうウェンディは割り切った。
(だけど、私は続編の世界に転生した。これには、何か意味があると思うわ)
デクスターを救うチャンスを、無駄にはしない。
「勇者さま、新しいポーションの説明をします。夜に魔物の姿になったときに、こちらを経口摂取してください。核との一体化が始まっているのなら、時を遡るポーションが効果的だと思うんです」
「このポーションは本来、無機物に対して使われているのだが、それを有機物にも使えるようにレシピを改造した。味はイマイチだが、実験では成功したんだ」
ウェンディとダニング伯爵の熱弁に、デクスターが少し笑った。
ちょっと眉尻が下がる笑い方に、ウェンディの胸はときめく。
まだデクスターは魔王にはなっていない。
それが今の救いだ。
ウェンディは背負ってきた鞄からノートを取り出すと、錬金術士の顔つきになって注意事項を付け加える。
「できれば、お父さまか私が付き添って、摂取直後からの経過を見守るのが最適です。体調の変化から、副作用が出ていないかも調べられるし……」
「でも、デクスターは魔物の姿をウェンディに見られるのを嫌がるだろうなあ。私に見せてくれたときも、渋々のていだったし」
「私たちが見守っている状況なら、何かあったときに別のポーションを使って、応急処置もできますよ?」
「ウェンディは、デクスターの魔物姿への恐怖心よりも、心配が勝っているんだね。どうする、デクスター?」
研究者気質の親子から矢継ぎ早に問われて、デクスターは戸惑う。
「その、ウェンディはこれまでに、魔物を見たことがないだろう? 俺の姿は、魔物の中でも異形だと思う。きっと……ショックを受けるんじゃないかと」
「大丈夫です。頭の中でイメージはしていますから」
イメージどころか、全体像のスチルを思い出したので、なんならデクスター本人よりも詳しい。
自信たっぷりで胸を張るウェンディに、デクスターは不安げだ。
そこでダニング伯爵が折衷案を出してきた。
「すでにデクスターの魔物姿を見たことがある私が、今夜の経過観察をしよう。ウェンディはドアや衝立越しに見守って、だんだんデクスターに慣れていけばいいよ」
「しかし、俺は淫魔だぞ? 年頃の女性が近づいては、危険なのでは……」
「デクスターは、もう20年以上も淫魔としての欲を抑え込んできたから、大丈夫じゃないのか? それに、そもそも童て……」
「アルバート!」
デクスターがダニング伯爵の口を両手で塞ぐ。
ほぼ言ったも同然だが、デクスターは途切れてくれた言葉にホッと安堵していた。
ウェンディが『童貞』という単語を知らなければ、功を奏していただろう。
しかし前世で、しっかりR18なゲームを体験済みのウェンディには、無意味だった。
(え!? 童貞なの!? あんなに顔面がいいのに!? これは周囲にいた女性陣が、牽制し合ってモノに出来なかったパターン!?)
くわっと目を見開くウェンディだが、前世も今世も処女なウェンディは、完全にデクスターの仲間だ。
ただ耳年増な分、顔を赤くしているデクスターよりは余裕を装えている。
「とにかく、ウェンディは俺に近づいては駄目だ。絶対に実験中は、俺の部屋へ入ってこないように」
デクスターに念を押されて、ウェンディはしっかり頷く。
何かあればすぐに、飛び込む心積もりを隠して。
「よし、じゃあ夜になったら、さっそくポーションを試そう。いろいろな種類を作ったんだ。どれかひとつでも効いてくれたら、さらに濃縮したポーションを試行できるし、きっといい方向に進むよ」
ダニング伯爵の嬉しそうな声で、山小屋の中は明るい雰囲気に戻った。
それを察知したのか、部屋の隅で大人しくしていたホレイショがパタパタと小さな翼で飛んで、デクスターの肩に戻ってきた。
ホレイショが頬に擦りつけてくる頭を、指で撫でてやるデクスターの表情も柔らかい。
きっと今夜、なんらかの成果が出る。
ウェンディはそう信じた。
◇◆◇
しかし、デクスターの寝室から出てきたダニング伯爵の表情は硬かった。
寝ずに待っていたウェンディは、すぐに椅子から立ち上がる。
「お父さま、どうだった? どのポーションが一番、効果があった?」
飛びつくように質問をするウェンディを、取りあえず座らせる。
それからダニング伯爵は、うーんと唸って首をひねり出した。
「解呪ポーションよりも、効き目はあると思う。どのポーションも、核へ影響を与えたと思う」
「勇者さまに、具体的な変化はなかったの?」
「ふつうの魔物の核ならば、変化もあっただろう。だが、相手は魔王の核だ。行く手を阻む大岩のごとく、どっしりとしている印象だった」
そう言って、デクスターの体温や体調の変化などを書き留めたノートを、ウェンディへ渡してきた。
急いでページをめくり、今日の日付の下に書かれた数字を拾い読む。
「微熱、だけ?」
「そうだ。どのポーションでも、与えられた影響は微熱のみ。これは解呪ポーションでは得られなかった変化だから、今回のポーションの功績と言っていい」
「もっと摂取可能量を増やすとか、それぞれの成分濃度を上げるとか……もしくは、これらのポーションを合体させるとか……」
ぶつぶつと次の手を考え始めるウェンディに、ダニング伯爵は笑みを零す。
「ウェンディがいれば、どんどん研究が進む気がする。私は最強の相棒とタッグを組めて、幸せだよ」
「お父さま、私もレシピの研究をするわ。勇者さまと魔王の核の一体化は、進行しているのでしょう?」
「進行しているかどうか、私には分からなかったんだが、闇の精霊ホレイショが言うには今年の四月から、強い香りが漏れ出したそうだよ」
続編のヒロインである王女が、レンフィールド学園に転入してくるタイミングと合致する。
やはりストーリーに従って、魔王の核との一体化は進行していくようだ。
「今は五月……卒業式は三月だから、二月までになんとかしないと……」
「デクスターは疲れて寝ているから、私たちも休ませてもらおう。こっちに私が泊まるための部屋があるんだ」
本人も疲れているのだろう、あくびをしているダニング伯爵に促され、ウェンディは客間らしき場所へ案内されると横になった。
レシピについてもっと考察したかったが、初めての雪中登山で体は疲れていたようだ。
目を閉じたら、ウェンディは気を失うように、一瞬で眠ってしまった。
◇◆◇
翌日からも、ポーションを掛け合わせながらデクスターに摂取してもらい、効果の違いを検証していく。
その結果、範囲を絞るポーションと組み合わせれば、時を遡るポーションが魔王の核との一体化を遅れさせることが分かった。
これは核から漏れる香りの強さを、ホレイショに嗅ぎ分けてもらって判断できた成果だ。
「範囲を絞るポーションを、もっと高濃度にするべきだな」
「発動してしまった作用を抑えるポーションで、魔物化した状態の性欲を、散らす効果もあったわ」
ダニング伯爵とウェンディの声音は弾む。
デクスターの状態が改善する可能性に、やりがいを感じているのだ。
それはデクスターにも伝播する。
「ありがとう。こんなに親身になってくれて、頼もしいよ。魔物として生きていく覚悟は決めていたが、さすがに魔王になる未来は衝撃的で……このところ沈んでいたんだ」
弱音を吐くデクスターの肩を、ダニング伯爵が力強く叩く。
「最後まで諦めるな。私もウェンディも、絶対に助けるつもりでいる。心を強く持て。私たちは何度も、立ち上がってきたじゃないか」
「そうだった、俺たちは何度も、絶望の淵から這い上がった。もうすっかり、忘れていたよ……」
20年以上、雪山でひとり、魔物として暮らしてきたデクスターが、絞り出すように言葉を零す。
そこには哀しみや苦しみの全てが凝縮されているようで、ウェンディはたまらない気持ちになるのだった。
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