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2話 忘れ去られた英雄
「お父さま、折り入って話があるのだけど、晩餐のあとに時間を作ってもらえる?」
学園から帰宅するなり、屋敷の離れに造られた研究室へ向かったウェンディは、そこにいた白衣姿のダニング伯爵に話しかけた。
白い煙をもくもくさせながら、父であるダニング伯爵は今日もポーションを制作している。
ウェンディと同じ水色の髪は邪魔にならないよう結い上げられ、湖水より青い瞳は保護メガネの奥に隠されていた。
この乙女ゲームの世界の錬金術は、魔女の大鍋のような融合釜の中に素材を入れて、ぐるぐるかき混ぜればポーションが完成する仕様だ。
できあがった様々なポーションを使って、武器や防具を強化したり、戦闘環境を有利にしたり、状態異常を回復したりする。
ポーションの制作工程こそ単純だが、目的に適したオリジナルのレシピをどれだけ生み出せるかが、錬金術士の腕の差なのだそうだ。
レンフィールド王国に存在する数千ものレシピの約半数を考案したのが、神の手の持ち主と呼ばれるダニング伯爵だ。
数々の有用なレシピが功績として評価された結果、魔王討伐パーティにメンバーとして選出された。
『レンフィールド王国の枯れない花』の戦闘シーンでも、ポーションの在庫さえ切らさなければ、クールタイムが長い魔術師の第二王子よりも、使いやすいキャラだったことをウェンディは思い出す。
「おかえり、ウェンディ。学園はどうだった?」
いまだ国内随一の錬金術士であるが、ウェンディにとっては優しい父親だ。
そして齢を重ねていても、秀才メガネ枠を彩った美貌は、まるで衰えていない。
保護メガネを外していつものメガネにかけ替え、白衣を脱いでハンガーへ吊るすと、柔和な笑みを浮かべたダニング伯爵はウェンディの方へやってくる。
「相談事があるのなら、今からでもいいよ。ちょうど依頼品が完成したんだ」
ダニング伯爵の視線の先には、丸型フラスコに入れられた乳白色のポーションがある。
数日前から、かかりきりになっていた仕事が片付いて、いつもより機嫌がいいようだ。
デクスターの行方を尋ねるには、チャンスかもしれない。
ウェンディは備え付けの椅子に腰かけると、唐突とも言える質問を繰り出す。
「お父さまに聞きたいのは、勇者さまについてなの。魔王討伐の後、一体どこへ行ってしまったの?」
「おや、これはまた急だね。……デクスターのことを聞かれるのは、十数年ぶりだよ」
ダニング伯爵はウェンディの真向かいにある椅子に座り、長い脚をゆっくりと組む。
そうして宙を見上げ、懐かしそうに昔話を始めるのだった。
「公には、役目を果たしたデクスターは聖剣を王家へ返還し、ただの剣士となって修行の旅に出たとされている。だが、魔王討伐の旅に同行したメンバーならば、それが偽りだと知っている」
「偽り……偽らないといけない、何かがあったのね?」
「私たちが魔王討伐に出たのは、ウェンディより少し齢が上の頃だった。まだまだ未熟で経験不足、すべてが手探りの旅だったよ。何度も挫折し、そこから立ち上がり、魔王城へ辿り着いたときは、安堵すら感じた。もうすぐ終わるのだとね」
ダニング伯爵は微笑んで見せたが、そこには哀愁が含まれている。
「魔王に対峙していながら、自分たちの強さを過信し、油断があったのだと思う。イアン殿下が魔王の動きを封じ込め、私がデクスターの身体能力を極限まで高め、聖女さまがこれまでに負った傷を回復し、デクスターが魔王の首を刎ねるために渾身の力で聖剣を振るった」
ウェンディは知らず、ぎゅっと拳を握りしめる。
頭の中にあるのはゲームの戦闘シーンだが、この世界では実際に命を懸けて行われた戦いだ。
現実で死んだら、誰も生き返れない。
「そして――デクスターは見事、魔王の首を落とした。床に転がった魔王の首を見て、全員が体から力を抜いてしまった。私たちは、その隙を突かれたんだ」
「もしかして、魔王はまだ死んでいなかった?」
「正確に言うなら、死にかけていたのだろう。死の間際、魔王は最後の力を振り絞り、聖女さまへ向けて呪いを放った。いち早くそれに気がついたデクスターが、身を挺してかばったのだが……」
そこでダニング伯爵はうなだれる。
嫌な予感が、ウェンディの体を震えさせた。
「まさか……勇者さまは、死んでしまったの?」
口にするのも憚られるが、真相を確認せずにはいられない。
しかし唇がわななくのまでは、止められなかった。
青い顔をしているウェンディを安心させるように、ダニング伯爵は少しだけ口角を持ち上げる。
「……死んではいない。だが、呪われてしまった。それ以来、デクスターは人目につかぬよう姿を隠している。私たちは聖剣を持ち帰り、国王陛下には魔王討伐の成功と、デクスターがパーティから脱退したと報告をした」
「脱退した? 魔王に呪われたと説明したの?」
「呪いについては言及していない。デクスターが、大事にはしたくないと言ったから、国王陛下には伏せてある。むしろ、伏せなければならなかった」
「どうして? 呪いなら、解呪すればいいじゃない? お父さまなら、最高位の解呪ポーションも作れるでしょう?」
「もちろん、その場で作ったよ。だけど、駄目だったんだ。私の作った解呪ポーションが、効かなかった」
「それって……」
ウェンディは続く言葉を失う。
「当代きっての天才と言われた私の解呪ポーションが、効かなかったということは、他の誰の解呪ポーションも効かないということ。つまり、今もデクスターは呪われ続けているんだ」
なんてこと、とウェンディの口は動いたが、声にはならなかった。
「何がいけなかったの? 素材? それなら国に助けを求めて、最高級品を集めてもらえば……」
「デクスターが呪われてしばらくは、イアン殿下が協力してくれた。国王陛下に隠れて、貴重な素材を収集してくれた。だが、素材を変えても駄目だったんだ。何度やっても失敗する内に、イアン殿下と聖女さまは、デクスターのことを話題にしなくなった。……諦めたんだろう」
「聖女さまは勇者さまに、かばってもらったのよね? 聖女さまの代わりに、勇者さまは呪われたのよね? それなのに……」
「私が不甲斐ないせいだ。いつまで経っても、デクスターの呪いを解いてやれない」
「どうしてそこまで秘密にするの? 国中の英知を集めれば、解呪できるかもしれないのに。お父さまは確かに天才だけど、一人では限界もあるでしょう?」
ウェンディは椅子から立ち上がり、ダニング伯爵に掴みかからんばかりの勢いで詰問する。
どうしてパーティメンバーだけで解決しようとするのか。
しかも現段階で、王子と聖女はデクスターをすでに見放している。
「デクスターは今、北の雪山に身を隠している。私が周囲に封印を施しているから、誰にも気づかれないはずだ。そうしなければ――デクスターは殺される」
「殺される……? なぜ? 勇者さまは、国を救った英雄なのに……」
「魔王を倒したときに、この国から魔物は一掃された。ただ一体、デクスターを残して」
その意味を理解して、ウェンディは椅子にへたり込む。
力が入らない指先が、痺れたように小刻みに震えた。
「まさか、呪いというのは……」
「魔王によってデクスターは、魔物にされた。このことが国王陛下に知られたら、次に討伐されるのはデクスターだ」
あまりのショックで言葉を失くしてしまったウェンディに、ダニング伯爵は自身も肩を落としたまま語りかける。
「いかに世にもてはやされようと、私は親友ひとり救えない、情けない錬金術士だ。毎年、雪山に封印をかけ直すのに合わせて、渾身の解呪ポーションを制作して持参するが、デクスターに効果があった試しがない」
「……違うんじゃないの?」
「違うとは?」
「お父さまの作るポーションで解呪できないのなら、それは呪いなんかじゃないんじゃない?」
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