34話 結婚指輪にまつわる話

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34話 結婚指輪にまつわる話

「両親は一人息子の俺を、魔王討伐なんて危険な旅に、行かせたくはなかった。しかし、王家から聖剣が届けられ、俺がその柄を握ると、聖剣がまぶしく光り出してしまう。間違いなく勇者だと認定されて、泣く泣く両親は俺を家から送り出した」  デクスターは右手を眺めた。  聖剣を始めて握った日を、思い出すように。 「両親が危惧した通り、旅の途中で何度も死ぬ目に合った。生きて帰れないかもしれないと、俺も覚悟を決めた。だが俺たちは進み続け、やっと魔王を倒し、この旅に終止符を打てると思った――瞬間、その隙を魔王に突かれてしまった」  デクスターが顔をあげる。  その続きは、ウェンディも知る通りだ。 「アルバートの作った解呪ポーションを飲んでも、俺の姿は魔物のままだった。アルバートもイアン殿下も聖女さまも、必ず助けると約束してくれたが、きっと俺は絶望していたと思う」    ウェンディをひたと見つめる紫色の瞳には、老成された静けさがあった。 「アルバートが雪山へ結界を張り、魔王に呪われた俺の身を、隠してくれることになった。だから俺はその前に、密かに両親に会いに行ったんだ。――今生の別れをするために」  ウェンディは咄嗟に、デクスターの手を握りしめる。  少しでも温かさが伝わればいい、そう思って。  デクスターも、ぎゅっとウェンディの手を握り返してくる。 「青い顔をした俺が帰ってくるなり、もう会えないと告げたから、両親をまた泣かせてしまった。理由を明かすこともできず、ただ遠くへ行くとだけ言う俺に、両親が渡してくれたのがこの指輪だった」  デクスターはウェンディの指にある銀の指輪を、すりっと親指で撫でる。 「貧しい父親が頑張ってお金を貯めて、母親にプロポーズをしたときに渡した指輪だそうだ。どこへ行くとも知れない俺が、どこかでお金に困ったときに、売って少しでも足しにしなさいと言って渡された。魔王討伐に出立した日から、もう俺とは会えないのではないかと、両親も覚悟をしていたようだ。だからこうして、無事に会えただけで嬉しいと……」 「素敵なご両親ですね。デクスターさまへの愛が伝わってきます」  ウェンディの言葉を聞いて、デクスターが微笑む。 「涙の別れをした両親とは、結局、それきりだった。俺が雪山に籠っている間に、どちらも亡くなってしまったんだ。だからこの指輪が、ふたりの形見になった」 「それならば、この指輪は家族の愛の証ですね。デクスターさまのご両親からデクスターさまへ、そしてデクスターさまから私へ。これ以上ない、素晴らしい結婚指輪です」  ありがとうございます、と嬉し涙を浮かべたウェンディを、デクスターはたまらずに抱き締める。 「こちらこそ、ありがとう。ウェンディと出会えて、俺の運命は変わった。みっともない姿ばかり見せているのに、そんな俺をこんなに慕ってくれて……」  感極まったデクスターの台詞は、そこで途切れる。  そして伝えきれない想いを乗せて、ウェンディの唇に口づけを落とした。 「愛している。この先、何があろうとも、ウェンディとお腹の子を護る。俺に、護らせて欲しい」 「はい、デクスターさま。ずっと一緒にいましょう。だって私たち、家族ですもの」  ふたりは見つめ合う。  そして離れがたい気持ちを隠せずに、互いの身を寄せるのだった。    ◇◆◇  妊娠が分かったウェンディとデクスターの婚約期間はすっ飛ばされ、すぐに結婚式を執り行うことになった。  まだ安定期に入っていないウェンディの体調を考慮し、ダニング伯爵家のホールでささやかな人前式を開催する。  母バーバラが着た花嫁衣装を仕立て直し、ウェンディは親族や学友に見守られる中、デクスターの妻になると誓った。  デクスターもまた、ダニング伯爵が着た花婿衣装を仕立て直し、親友の娘であるウェンディの夫になると誓う。  20歳以上の年の差があるふたりだが、外見上はそれとは分からない。   「体から魔王の核が排出されたから、今後は普通に年を取るだろう」  ダニング伯爵が、デクスターの皺ひとつない頬を引っ張りながら、笑って言った。  まだウェンディの体からの排出方法は確定していないが、ホレイショの鼻のおかげで、完全に魔王の核が静かにしているのは分かっている。  なんなら、出産が終わってから対処しても、何とかなるのではないか、というのが最近のダニング伯爵の見解だった。 「まずは、健やかな赤子の成長を見守ろう。もしかしたら赤子と一緒に、出てくるかもしれないしね」 【魔王の核が出てきたら、オレにくれ。ここにくっつけて、第三の眼にするんだ!】  小さい指で額を指し、ホレイショが瞳を輝かせている。  額にくっつくのか分からないが、どうやら闇の精霊にとって魔王の核は、厨二病アイテムらしいとウェンディは察した。  どう考えても人間の手にはあまる代物なので、ホレイショが欲しいというのなら渡してもいいのではないか、とダニング伯爵は言う。  デクスターから、悪いことに使ってはいけない、と忠告され、コクコクと真面目な顔で頷いているホレイショならば、大丈夫だろうとウェンディも賛成した。  こうして、こじんまりとした結婚式は、幸せを寿がれながら、つつがなく終えた。  ウェンディはダニング伯爵家の籍を抜け、ただのウェンディとなり、今日からデクスターの妻となる。  その喜びに、ウェンディはこの世界に来てよかったと、心から思ったのだった。  ◇◆◇  年明けには侯爵になるデクスターと侯爵夫人になるウェンディへ向けて、バーバラの個人授業が始まった。 「ウェンディちゃんはパパみたいに、依頼がひっきりなしに飛び込む有能な錬金術士になるでしょうから、日頃から王都のお屋敷を本拠地としたほうがいいと思うの。そして、領地へは信頼できる管理人さんを置いて、時々デクスターさんが監査に行くくらいでちょうどいいわ」 「つまり、今のお父さまとお母さまのスタイルを、私とデクスターさまに当てはめるのね?」 「そういうことね。だから私が教えるのは、主に王都にいる間の貴族の過ごし方になるわ」  ウェンディとデクスターは並んで座り、バーバラの言葉を聞き洩らさないよう、真剣な顔をしている。  デクスターは貴族のしきたりを知らないし、ウェンディだって家の采配の仕方を知らない。 「それぞれ同時に教えるのは、お互いがどんな役割を担っているのか、理解していたほうがいいからよ。何かしら手が回らないときに、どちらかが助けてあげられるでしょう? そうやって夫婦は、支え合って生きていくのよ」  ニコニコと朗らかな笑みを絶やさないバーバラからは、苦労は窺えない。  しかし窺えないからと言って、苦労がなかった訳ではないだろう。  なにしろ結婚相手は、あのダニング伯爵だったのだ。  男爵位から伯爵位に格上げされ、天才と称えられる夫の妻になり、妬みや嫉みを一身に受けたかもしれない。  そうしたものを上手に隠してしまうのも、貴族のたしなみなのだ。 「ふたりは心から愛し合った夫婦だから、そのところはあまり心配してはいないの。だから基本的な点を覚えたら、あとはふたりなりに解釈をして、やりやすいように改変してくれて構わないわ。ではまず、貴族の繋がりについて説明していきましょうね」  研究ばかりしていたダニング伯爵を、後ろでしっかりサポートしていたバーバラの授業は、とても分かり易くて有用だった。  おかげでウェンディもデクスターも、これからの自分たちの未来を、うっすらと思い描くことができた。   「最初から完璧な人なんていないんだから、なんとなくでいいのよ。そのうち、身についてくるから安心してね」  数回に分けて行われたバーバラの授業が終盤に差し掛かる頃、いよいよ年が明け、デクスターへ侯爵位が授与される日となった。  ウェンディとデクスターは正装を身にまとい、爵位を賜るまでの後見人となったダニング伯爵と共に、いわくの王城へと向かう。 「おそらく今回、デクスターの爵位授与だけでは終わらない。国王陛下がついに動かれるそうだ」  ダニング伯爵のもたらす言葉には、不穏な香りが含まれていた。  デクスターに無理やり媚薬ポーションを飲ませた事件が、いよいよ公に裁かれるのだろう。  ウェンディはどのような結果になろうと、デクスターと一緒に受け止めようと決めた。  すでに世界は、乙女ゲームのストーリー展開から大きく外れ、独自のルートを進み始めている。  ただし卒業式の直前になっても、デクスターが魔王化しないことだけは確かだ。  それがはっきりしているだけで、ウェンディはしっかり立っていられた。
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