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36話 オレの第三の眼
デクスターが侯爵になって、数か月が過ぎた。
エインズワース侯爵家として用意された王都の屋敷に引っ越し、そこでの生活もだいぶん慣れてきた頃、臨月だったウェンディが赤子を生んだ。
生まれたのは女の子だったので、ふたりで決めた『キャメロン』という名前をつけた。
「黒髪に紫色の瞳、デクスターさまにそっくりですね」
「色白なのはウェンディに似ている」
出産を終えたばかりで、まだ起き上がれないウェンディに、疲労回復用ポーションを飲ませるデクスター。
甘く柔らかい雰囲気がふたりを取り巻いていたのだが、そこへホレイショの絶叫が響き渡る。
【うわああああ! ついに、ついに来たああああ! オレの第三の眼えええ!】
あまりの煩さに、デクスターはホレイショを掴むと、手のひらの中に閉じ込めた。
「寝ているキャメロンを起こすつもりか」
【待ってくれ、デクスター! 赤ん坊の手の中だ! オレの、オレの念願のアレが、ついに!】
閉じ込められても、まだジタバタと抵抗を続けるホレイショに、呆れたデクスターが戒めを解く。
すぽんとそこから飛び出し、ホレイショはウェンディが抱いているキャメロンの小さな手を、短い指で必死に示した。
【魔王の核を握っている! お嬢ちゃん、左手の中を見てくれ!】
ホレイショの発言に驚いたウェンディは、ぎゅっと握りしめられていたキャメロンの指を、そうっと優しく開いていく。
すると、ホレイショの言うように、中には朝顔の種のようなものがあった。
それは黒曜石に似た艶と輝きを放ち、とても禍々しいものには見えない。
核を摘まみ上げたウェンディが、それを矯めつ眇めつ疑問を口にする。
「これが、魔王の核?」
【そうだ、間違いない! かつてデクスター越しに漂っていた香りと、そっくりだ!】
「こんなに小さいものなのね」
【ポーションのおかげだよ。昔はもっと、デクスターの中で存在感があったんだ!】
興奮しているホレイショからは、歓喜のオーラが撒き散らされている。
キラキラした眼で魔王の核を見ているホレイショへ、ウェンディはそれを差し出した。
「どうぞ、ホレイショ。ずっと欲しがっていたものね。第三の眼になるかは分からないけれど、私たち人間が持っていても、きっといいことはないわ」
「ホレイショ、約束を忘れるな。悪いことには使わない」
デクスターに念を押され、改めてしっかり頷くと、ホレイショはウェンディから両手で核を受け取った。
じーっと手の中の核を見つめるホレイショの口元が、嬉しさで弧を描く。
【ありがとう! 魔王の核は闇の精霊にとって、勇者の聖剣みたいなもんなんだ。よ~し、さっそく額にくっつけるぜ!】
ぎゅっと核を眉間に押しつけ、しばらく目を瞑っていたホレイショだったが、手を離すとコロリと転がり落ちる。
【あれえ? なんでオレを主と認めてくれないんだ? ……デクスター、ちょっと力を込めて、オレの額に核をくっつけてくれよ】
「力加減の問題なのか?」
首を傾げて訝しげにしながらも、熱心に頼むホレイショのため、デクスターはぐっと指で核を押し込んだ。
【いてててて! いや、なんだかくっついてきた気がする! オレと核との一体感、きたああああ!】
万歳をしているホレイショから、デクスターが指を離しても、魔王の核は転がり落ちてはこなかった。
【ほらな! やっぱりデクスターの意思が必要だったんだ。魔王の核の所有権は、まだデクスターにあったんだよ。核をオレに押しつけることで、核をオレに渡すって意思表示になったんだ!】
ひゃっほいひゃっほい、と踊るホレイショ。
第三の眼というよりは、ただの装飾のように見えるが、それでも満足なのだろう。
ホレイショはスキップを踏むように飛び跳ねながら、どこかへ行ってしまった。
転送装置でキャメロンが生まれたことを知らせると、ダニング伯爵夫妻がそろってやってきて、途端にエインズワース侯爵家はにぎやかになる。
「ウェンディ、このポーションを飲むといい。産後の体に適した完全栄養補給ポーションを開発したんだ」
「ウェンディちゃん、お疲れ様でしたね。さあキャメロンちゃん、お婆ちゃんにお顔を見せてちょうだい」
まだあまり目も開かず、難しそうな顔をして眠っているキャメロンを、ダニング伯爵夫妻は褒めちぎる。
きっと将来は美人になるとか、明晰そうな眉毛をしているとか、意外とデクスター寄りで剣士になるかもしれないとか。
さんざん騒ぎ立てた後は、潮が引くように、あっさりと帰っていった。
どうやら初めての家族三人の夜を、邪魔しないためだったようだ。
「ウェンディ、ありがとう。キャメロンが生まれて、より一層、頑張る気持ちが奮い立った」
「もう十分、デクスターさまは頑張っていると思いますよ」
「魔王や魔物がいない世では、勇者はただの飾りだ。だが、それでいいと思っている。だから俺は侯爵として、キャメロンに何かを遺してやりたい」
デクスターは、キャメロンを抱いているウェンディごと、その大きな腕で囲い込む。
「ウェンディも、キャメロンも、幸せにしたい。俺は欲張りだろうか」
「いいえ、世の中の親はみんな、子の幸せを望むものです。デクスターさまの両親も、そうだったでしょう?」
「うん。……家族っていいな。自分が親になって初めて、見える景色があった」
その日、ウェンディとデクスターは、キャメロンを挟んで川の字になって眠った。
夜中に何度も起きるキャメロンに、おっかなびっくり対応する新米両親のふたり。
今は大変だが、いつかはこれも思い出話になるだろう。
どうしていいのか分からなくて焦ったよね、なんて笑い合える日まで、ウェンディとデクスターは年を重ねていく。
今日はその始まりの日だった。
◇◆◇
少し時間が遡る。
ホレイショは庭に出ると、魔王の核と合体したことで、自分に起きた変化を確かめていた。
そして瞬間移動のスキルが、より自由度が高くなっているのに気づく。
【どれどれ、アイツに見せびらかしに行くかな。オレがこんなに急成長したと知ったら、たまげるだろうなあ】
ウシシと笑いながら、ホレイショが瞬間移動をする。
着いた先は、レイチェルが入れられた歴史ある修道院だった。
◇◆◇
古びた石畳の回廊を、しずしずと歩くレイチェル。
豪奢なドレスや装飾品をまとっていた王女時代とは異なり、質素で飾り気のない灰色のワンピースのみを身につけていた。
この修道院で暮らして数か月。
隣国の王子ジレと婚約するまで、あと少し我慢すればいい、とレイチェルは考えていた。
「こんな貧相な生活、私には似合わないわ」
周囲に人気がないのを見計らって、レイチェルが悪態をつく。
やはりレイチェルの性格は、そう簡単には変わらなかった。
「ジレとの婚約がまとまれば、ハリスンとミッチェルも一緒に連れて、隣国で優雅に暮らしてやる」
片側の口角を上げ、歪んだ表情を浮かべるレイチェル。
とてもヒロインとは思えない相貌は、ウェンディが見れば驚いただろう。
「そして勇者が魔物だと、隣国にバラしてやるわ。いまや貴重な魔物の素材は、お金を出しても見つからないんだもの。きっと喜ばれるでしょうね」
肩を揺らし、こらえきれない嘲笑を漏らす。
「私を虚仮にした罰よ。生きたまま捕らえて、ずっと血液を搾り取るのもいいし、あのおぞましい蛇の尻尾の先から、少しずつ切り刻むのも捨てがたいわ」
そして思い出したように、ぽんと手を打ち合わせる。
「そう言えば、魔物とまぐわったあの女、妊娠していたじゃない。魔物の種で孕んだのなら、腹の子にだって魔物の血が流れているはず」
興が乗ったレイチェルの独り言は止まらない。
「獲物は多いほうがいいから、無事に生まれて欲しいわ」
誰にも聞かれていないと思っていたレイチェルだったが、しっかりとホレイショが聞いていた。
【デクスターと赤ん坊に、危害を加えるつもりか? これは見過ごせないぜ】
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