4話 ストイックなんてものじゃない

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4話 ストイックなんてものじゃない

「とんでもない! 私には愛する婚約者がいたからね。ウェンディもよく知ってる人だよ」 「ああ、お母さまね」  ダニング伯爵は、5つ年下の妻バーバラを熱愛している。  魔王討伐に参加したときには、もう婚約していたということか。  なんだか乙女ゲームの世界との乖離が激しくて、ウェンディは混乱してきた。 (聖女には、最初から第二王子ルートしか、なかったってこと?)  現実はゲームと違って、あまりにも堅実的だった。  しかし、続編でウェンディと王女が歩むルートも、現実に即した形となるのならば――。 (まだ楽観視はできないけど、強制力が働かない可能性があるわね)  それなら、やはりウェンディは飛び級で卒業して、さっさと錬金術士を目指すほうがいい。  もう学園生活は半年が終わり、ウェンディは卒業に向けて卒論をまとめ始めている。  年度の終わりに教授たちから合格をもらえれば、次に挑むのは錬金術士の試験だ。 「お父さまにとって、錬金術士の試験は難しかった?」 「基本的なことを聞かれるから、試験は難しくはないよ。むしろ錬金術士として、身を立てるのが難しいだろうね」 「オリジナルのレシピを、作らないといけないから?」 「オリジナルのレシピはね、目的を問わなければ思っているよりも簡単に作れるんだ。ただ、それが求められているレシピなのかどうかが大事なんだよ。例えば金を銅に変えるポーションがあったとして、それを求めている人がどれほどいるのかっていう話」  逆は喜ばれるだろうけどね、とダニング伯爵は付け加えた。  つまり、世に残っているレシピというのは、多くの人が求めた結果であり、使われず消えていったオリジナルのレシピは山のようにあるということだ。  なるほどね、とウェンディが頷いていると、ダニング伯爵はさらに続けた。 「でも、今の私にとっては、そうして不要だと思われてきたレシピこそ、求めているものなんだ。デクスターが呪われていないという観点から、魔王がかけたと思しきスキルを劣化させるポーションを開発しているのだけど、これまでと逆の発想をするのは、なかなか難しくてね」 「そう考えると、お父さまの手元にある素材は、役に立ちそうにないわね」 「流通している一般の素材は、基本的に効果が上がるものばかりだから……素材採集の旅に、出られたらいいんだけどね」    主に錬金術に使う素材は、栽培されているものが多い。  それは含まれる成分をなるべく統制することで、出来上がるポーションの質を均一化させるためだ。  だが、特殊なレシピやオリジナルのレシピなど、普段は使わないような素材が必要な場合、錬金術士は自ら素材を採集しに行く。  その素材が生えていた場所や育った環境の差によってポーションの効能が変わってくるから、自らの眼で確かめながら採取するのが最も確実なのだ。 「お父さまの予定は、数年先まで依頼で詰まっているんでしょう? 王都を離れてどこかに行こうと思っても、依頼主が許してくれないわ」 「確立されたレシピは、誰が作ろうと効能は変わらないんだけどね」  それでも、このポーションはダニング伯爵が作ったとなれば、箔が付くのだろう。  レンフィールド王国の王族や高位貴族を筆頭に、他国からもダニング伯爵に依頼が殺到している。 「素材は私が採集に行くわ。そのためにも、早く錬金術士にならなくちゃ」 「心配だな。ウェンディは思い切りがいいから……」 「一人前の錬金術士なら、採集だってひとりで出来なくちゃ! お父さまはそれまでに、たくさんのレシピを考えておいてね。私も卒論の傍ら、それらしいレシピがないか、探してみるから」    分かったよ、と微笑むダニング伯爵は、ウェンディの成長が嬉しいような寂しいような、複雑な心境だった。  小さいときから物覚えがよく、教えれば教えるだけ知識を吸収していくウェンディを、きっといい錬金術士になると思って育てた。  それが今、証明されようとしているのだが、ウェンディよりもダニング伯爵の方が、子離れできていないようだった。 「ウェンディはどうしてそこまで、デクスターのことを慮ってくれるんだい? これまで、私がデクスターの話をした覚えは、なかったと思うけど」  いつか、この質問がくると思っていた。  だからウェンディは前もって、受け入れてもらえるだろう回答を用意していた。 「学園に入学するにあたって、将来はお父さまみたいな錬金術士になりたいと思って、これまでのお父さまの経歴を見直していたの。そうしたら、お父さまと一緒に魔王討伐に参加した、勇者さまの足取りが消えていて……」 「それでデクスターの心配をしてくれたのか。ウェンディが優しい子に育ってくれて嬉しいよ。正直、デクスターを思い出してくれる人も、もう少ないからね」    ウェンディがデクスターについて尋ねたとき、聞かれるのは十数年ぶりだと言っていた。  おそらく、その十数年前までは第二王子や聖女が、デクスターの心配をしていたのだろう。  だが、いつまでたっても解決の目途が立たない問題を、悩み続けるのは億劫なものだ。  二人はデクスターの存在を忘却して、自分たちの心の安寧を図ったに違いない。  気持ちは分からないでもないが、同じ状況のダニング伯爵は、今でもデクスターを救おうと奮闘している。  デクスターに身を挺して庇われておきながら、その犠牲をなかったことにした聖女の行為は、ウェンディには許しがたかった。   (乙女ゲームの中ならば、聖女は攻略対象たちに愛される存在だったけど、実際には第二王子以外が聖女を愛した事実はないのよね)  ダニング伯爵には婚約者がいて、聖女を愛してはいなかった。  デクスターは聖女との身分差に遠慮して、話しかけもしなかった。  これが乙女ゲームの世界との違いで、この世界の事実なのだ。  ウェンディは、それでも聖女をかばったデクスターに思いを馳せる。 「勇者さまは雪山で、どのように過ごしているの? 不自由はしていないの?」 「雪山にある山小屋で、狩人のような生活をしている。魔物になったと言っても、昼は人間の姿をしているんだ」 「昼は? じゃあ、夜は?」 「うん……夜は、魔物の姿になるんだが、その……淫魔になるんだ」  娘の手前、やや恥ずかしそうに口にしたダニング伯爵だったが、衝撃を受けたウェンディはそれどころではなかった。  女子大生になって、R18なゲームにも手を出していた前世の知識を参照するならば、淫魔とは人間の夢の中に現れては性的なことをしかける下級悪魔だ。  あのストイックだったデクスターが、淫魔になった姿など想像もできない。 「勇者さまが、夜な夜な女性の夢の中に現れるというの?」 「違うよ、誤解しないで欲しい。デクスターは聖剣に選ばれるだけあって、清く正しい心の持ち主だ。その証拠に、昼は人間の姿で普通に生活していられる。ただ夜になると、姿は魔物になるし、思考が淫魔寄りになるそうだ。それを……精神力で抑え込んでいる、と言っていた」 「淫魔寄りの思考を、精神力で?」 「夜ごと、デクスターはひとりで戦っているんだ。かれこれ、20年以上も……」    想像を絶する。  ストイックなんてものじゃなかった。 「勇者さまの夜の姿を隠すために、お父さまは雪山に封印を施して、人の眼から匿っているのね」 「一度だけ、デクスターの夜の姿を見せてもらったことがあるが……私は淫魔というよりは、魔王に似ていると思った」    ドキッとウェンディの心臓が跳ねた。  デクスターが魔王になるというウェンディの予想を、裏付ける何かがあるのだろうか。   「魔王と勇者さまには、共通点があったの?」 「私たちが討伐した魔王は、キメラだったんだ。牛の頭に虎の脚、背には甲虫の羽根があったよ。デクスターもそうなんだ。頭にはヤギの角、背中には蝙蝠の翼、そして下半身は蛇だ」
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