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スタッフが解散すると、社長が大股で修一の元に戻ってくる。
「この撮影の後、十五分だけ機材と人材を使わせてもらえるようにした」
「では──」
「え、何? 何するの?」
スズが修一を見上げると、きりりとした宣言が返ってきた。
「スズをモデルに撮影する」
「……え?」
何が起こっているのか全く把握できないまま、あれよあれよという間に本来のモデルの撮影が始まってしまった。後から知ったが、修一が今回メイクするモデルは獣人で、社長が経営している事務所も獣人モデルを専属させているらしい。
モデルのメイクが終わると、修一は撮影には参加せず、代わりにスズを椅子に座らせた。
「え、オレをメイクするの!?」
「それ以外に何がある? この後おまえの撮影が控えているんだ。今日の服も、それ用に合わせて着させた」
「……もしかして修一、今日の仕事が来た時からこの状況を狙ってた?」
「ほら。顎引いて、遠くを見て」
すっとぼけた修一の手でスズの首にタオルが巻かれ、液の染みたコットンが鼻の上に当てられた。
「もともと海外のトップモデルは獣人ばかりだ。遅れて日本も獣人をモデルに起用する流れが来始めていたが、それに合わせて今回、メイク依頼が重なった」
「で、でもだからって……パシャパシャ眩しいやつに耐えるのも、ポーズも、できないよ」
「技術は後からどうとでもなる。というか、前からおまえのことを何度も綺麗だと言っていただろう。俺の言葉を信じられないのか?」
「で、でもっ……」
「俺がメイクをするのに?」
その声に、スズは押し黙るしかない。
(そっか……。修一がオレの『綺麗』を信じられないのと同じで、オレも修一の『綺麗』が信じられなかったんだ)
関係が先に進まないのをすっかり修一だけのせいにしていたが、間違っていた。
スズは、修一がプロとしてモデルを美しく仕立て上げるのをこの目で見てきた。だからこそお世辞で物を言いっているわけではないのだろう。ここで撮影を遠慮したり拒否したりするのは、そんな修一を好きな自分まで否定することになってしまう。
「大丈夫、おまえは綺麗だ」
修一は手早くスズにメイクを乗せていく。髪にワックスやスプレー。肌にはブースター、化粧水、ファンデ、マスカラにチーク。
すべてのメイクが終わり、まともに自分の顔も見られないままスタッフが二人を呼びに来た。
「ど、どうすればいい……?」
自分でも驚くくらいの掠れた声が出る。慣れない何もかもに足がすくむスズの背後から、修一が肩をそっと押した。
「胸張って、前を向け。カメラを今までおまえをいじめてきた奴らだと思って、睨みつけてやれ」
「あ……」
その言葉は図らずも、母がいつも言っていた言葉と同じだった。
──獣人たるもの、いつも前を向いていなさい。
「わかった。オレ、頑張ってみる」
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