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これって……オレ?
スタジオに入り、床まで垂れ下がった白い幕の前に立つ。
風が吹き付けてきて、ひゃっと肩をすくめる。
カメラマンがしきりに、こっち向いてとか、目線だとか、いいよ真剣な顔してみよっか、と声を投げてくる。
その横に、修一が佇んでいる。
スズはただ夢中になって、修一を見ていた。彼の綺麗な佇まいは、こうして離れて見ると一層際立つ。
小倉から、毒の粉を化粧に混ぜろと言われたことを思い出した。やらなければ、兄のように惨めに死ぬぞと脅されて。
だが修一を見ていると、あらゆる悩みがどうでもよくなってしまう。
今だけは。
この空間にいる時だけは。
カメラマンの先にいる、修一を見ている時だけは。
「すごいよ! いい、めっちゃいい。初めてとは思えないねえ!」
カメラマンが興奮気味に叫ぶ。
「もっと目線、力強くちょうだい!」
世間を睨みつけて、修一に訴える。
──オレを見て。オレだけを見てよ。
訴えながら、邪念も何もかもを忘れて、フラッシュの先にいる修一を見つめていると──その目から涙が落ちた。
「……修一?」
その場にいた誰もがスズに釘付けになっていて、修一が泣いていることには気づいていない。それほど静かで音のない涙だった。
(なんで……?)
周りに気づかれぬうちに、修一がそっと目元を拭う。綺麗だ、と口の形がそう唱えた。
十五分の撮影が光の速度で終わり、事務所の社長が真っ先に駆け寄ってきた。
「いいよ、めっちゃいい。素質あるね。これまで読モとかやってた?」
「ドクモってなんですか?」
「いや忘れてくれ。それにしても筋がいいな。いったいどうやって……」
「修一をずっと見てた」
一歩引いたところで見守っていた修一が彫刻のようになったので、社長がくつくつと笑った。
「なるほどねえ。それで、どうかな? うちと試用で契約してみない?」
契約するとどうなるのだろう。答えられずにいると、修一が助け舟を出してくれた。
「今みたいに写真を撮って、金をもらうってことだ」
「えっ、これでお金もらえるの?」
喉にこみ上げてくるものを感じ、スズは粉の袋が入っているポケットを強く押さえた。
(小倉の仕事じゃなくても……オレも、日の当たる場所に行ける?)
逡巡するスズの肩を修一が掴んだ。そのままデスクの前に連れられ、パソコンの画面を指差される。
「見てみな」
言われるがまま、スズは画面を覗き込んだ。
──写っているのは、鋭く、強く、野生のように光る青色の瞳だった。
白く輝きを放つ肌。超然とした表情の猫獣人が、まっすぐにこちらを睨みつけている。しなやかで、今にもどこかへ飛び出して行くような、孤高で自由な躍動感。
「これって、オレ……?」
スズは、修一がなぜ撮影中に涙を流していたのかを悟った。
自分じゃない自分を見た瞬間、スズの両目からも涙が溢れてきたからだ。
(……綺麗)
いつも心のどこかで、弱い自分は誰かに飼われなければ生きていけないと思っていた。
小倉から逃げられない。修一に捨てられたくない。
ヘラヘラするしかない、惨めな自分。
「うっ……うぅ……」
そうじゃなかった。
自分はこんなふうに、力強く、美しく、誰かの目に映ることができる。
(あぁ……オレも、日の当たる場所に行けるんだ……)
胸の苦しさが津波のように押し寄せてきた。ここに連れてきてくれた修一の優しさに、今までの『好き』とは違う感情が溢れ出る。
これはたぶん、好き同士以上の何かだ。
なぜ、もっと早く修一と出会えなかったのだろう。
小倉と出会う前に。
この身が汚くなる前に。
(違う)
修一は、スズを綺麗だと言ってくれた。泣いてくれた。過去に薄汚れた生活をしていても、修一となら幸せになれるかもしれない。
(修一に全部言おう。助けてって言おう)
小倉に仕事をさせられていたことを打ち明けたら、きっと修一は怒る。だがきっと、スズが小倉から逃れる方法を一緒に探してくれるはずだ。
修一と一緒に幸せになりたい。
幸せになるなら修一とふたりがいい。
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