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エピローグ
スタジオのインターフォンが鳴ったので、修一が外に出ている間にスズは身だしなみを整えた。
鏡の前で、耳の毛が乱れていないか、服がシワになっていないかを念入りに確認する。
こうして日々を振り返ってみると、修一と生きていくと誓った日がはるか昔のように思えた。実際はまだ一ヶ月程度しか経っていないが、日の当たる場所に立ってからは時間が早く回るように感じられる。
小倉の半グレグループは、司の呼び込んだ警察によってあっけなく壊滅に陥った。乱闘による現行犯逮捕を皮切りに、余罪を追求されての一斉検挙だった。
「天網恢々、疎にして漏らさず……ってな」
そう言った司はホクホク顔だった。嵐山興信所は、警察に極めて貢献的な情報を提供したとして株を上げたらしい。
半グレたちに殴られた怪我が回復してから、スズは改めて獣人専属モデルの仮契約をする運びになった。獣人がファッションに進出することに対して世間の偏見が急に覆ることはないけれど、細く手繰った糸が、スズを確実に実りある毎日へ導いてくれている。
──ここ一ヶ月で起こっためまぐるしい日々を思い返していたところに、玄関に出ていた修一が戻ってきた。
「スズ、マネージャーが来たよ」
「うん。じゃあ行ってくるね」
今日は小さな雑誌コラムの撮影の予定だ。手を振って玄関へ出ようとしたところに、修一が背後からスズの体を抱き込んでくる。
「仕事行かせたくない……俺の猫ちゃん……」
「やだやだ、修一、離してよぉ」
あれから修一はいつもと同じようにモデルや著名人などのメイクを続けている。が、スズがモデルになってからはべったりする日が格段に減ってしまって、ぶつぶつ文句をこぼすことも増えた。最近は、スズが修一をなだめて引き剥がすほうが多い。
「本当なら一生養うのに。スズの魅力は俺だけが知っていれば……! モデルの仕事を紹介したことをちょっと後悔してる」
「ええ?」
「マネや周りの奴らだって、いつスズに手ェ出すかわかったもんじゃないし」
「みんないい人だよ? オレにすっごく優しいし」
「それがいけねぇんだろうがふざけんな」
スズの髪の毛に顔を埋めながら、修一が泣きそうな声で呻く。
涼やかで、凛々しくて、完璧なプロのヘアメイクアップアーティストたる美代修一が、家では恋人をデロデロに甘やかして自身もデロデロに溶けていると知ったら、周囲はどう思うだろう。
だが、修一のそんな姿は恋人だけが知っていればいい。
スズはかかとを浮かせて、修一の額にキスをした。
「じゃあねぇ、オレがうんと偉くなったら、修一を専属メイクに指名してあげる」
修一がバッと顔を上げた。
「わかった、頑張って仕事する……」
「よかった! 家で待っててよ。今日はイチャイチャするんだから、絶対だよ」
「ああ」
「行ってきまぁす」
スタジオから外に出て、修一の愛車であるセダンの脇を通り過ぎる。秋のからりとした太陽が、スズの道の先を照らしていた。
「よしっ!」
スズは胸を張り、日の当たる場所へ一歩を踏み出していった。
〔了〕
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