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お礼はいらないってこと?
修一は一度バスルームに消え、タオルや瓶などを持ってベッドに戻ってきた。
サイズの大きいTシャツをぼふっと頭から被せられたスズは、問答無用で背中を引き寄せられたかと思うと、修一の組んだ足の上に座らされる。
「え、なにこわい」
「大人しくしな。ドライヤーで髪を乾かすから」
耳元で『ごぉっ』と音がして、半乾きの髪に温風が吹きかかる。背後から猫耳に指がすっと触れ、修一の声がした。
「おまえ、名前は?」
「スズ」
「そうか。こっちの勘違いで声を荒げたりして、悪かった」
「う、うん……」
追い出されると覚悟したが、また修一の優しい声が聞けた。耳に触れたのは彼の指だ。スズはすっかり大人しくなって、暴れる心を鎮めながら、修一になされるがまま背中を預けた。
「初めて会った時はもしかして、腹が減っていたから猫の姿でしか助けを求められなかったのか? だったら、猫の餌を出しちまったのは間違いだったな」
スズは肩に修一の感触を覚えながら、ふるふると首を振る。
「ううん。修一がくれたものならなんだって美味しいよ。お風呂もすっごく気持ちよかった。泊めてくれて嬉しかったし、優しく撫でてもらえて幸せだったよ。オレ、修一のことを女神様だと思ってる」
ドライヤーを動かす修一の手がはたと止まる。
「女神?」
「修一って、優しいよね」
しばらく沈黙が続いて、温風の音ばかりが耳についていたが、やがて再び修一の指がスズの髪を梳き始めた。
「……馬鹿。俺が優しかったら世の中の奴らはみんな聖人君子だ」
「馬鹿」と口では言いながら、優しい手つきで髪を乾かしてくれる修一は、やっぱり女神様だとスズは思った。
髪が乾くと、次に修一は瓶の中の液体を白いコットンに染みさせて、スズの顔に押し付けていく。
「ちべたい。これ、何やってるの?」
「スキンケア」
「あ、さっき言ってたやつか。修一って、一階のスタジオでも似たようなことしてたよね?」
「これでも一応、ヘアメイクアップアーティストだからな。モデルとか、テレビ出演する著名人とか、証明写真を撮る就活生とか、そういう人の顔や髪を綺麗にしてあげるんだよ。それでお金をもらっている」
お金、という単語にスズはギクリとして、コットンを顔に当てている修一の手をとっさに掴んだ。
「オ、オレ、お金払えないよ?」
「あ? ……ああ。今は俺が好きでやっているだけだから、金は取らない」
「カリカリをもらって、置いてもらって、スキンケアまでしてもらったのに……?」
スズは当惑の表情になり、修一を見つめる。
「こういう時、人間って見返りを求めるもんじゃないの?」
言葉を受けた修一が眉をひそめた。その表情を見て、やはり見返りがなくて不満なのかとスズは不安に駆られる。
(もしかして、ここでお礼をして修一に気に入られたら、家に置いてもらえるようになる? 半グレのところに戻らなくてよくなる?)
スズは一生懸命、考えを巡らせた。
どうしたら好かれるだろう?
どうしたら殴らずにいてくれるだろう?
どうしたらここに置いてくれるだろう?
脳内にはたと案が浮かぶ。
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