もしも世界が少しだけ穏やかだったら

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「これでよし。」 そういうと、亜琉葵(あるあ)は書類をプリントアウトした。完結でシンプルな文章だったが、隙の無い、考え抜かれた内容が記されていた。 「部長、例の書類です。」 「おお、もう出来たのか?。流石だな。」 デスクの左隅に後ろから何気なく書類を置くのが彼女の習慣だった。右利きの人には左側に、左利きの人には右側に、声をかけながらそっと邪魔にならないように、書類やファイルを置いた。必要に応じて、付箋を貼ることもあった。 「相変わらず気が利くな。有り難う。」 そういうと、部長は付箋の貼ってある部分から書類に目を通した。そして、少し微笑みながら、彼女の気遣いで時間の節約がまた出来ることを喜んでいるようだった。彼女がその場を離れようとした時、 「ところでキミ、もう落ち着いたかね?。あんまり無理しない方がいいぞ。」 部長は彼女を労るように声をかけた。 「有り難う御座います。こうしている方が楽ですから。」 「そうか・・。ま、もし休みを取りたいようなら、すぐにいってくれたいいから。」 そういうと、部長は再び書類に目を通し始めた。彼女は自分のデスクに戻ると、また勢力的に仕事に励んだ。やがて日が落ちると、オフィスから一人、また一人と退社していった。しかし、亜琉葵は相変わらずPCの画面を睨んでは、明日の段取りを考えていた。 「明日のことは明日すればいいから。」 部長が声をかけてきたが、 「はい。もう少しで終わりますので・・。」 そういうと、彼女は作業を続けた。オフィス内に誰もいなくなり、自分一人になったのを確認すると、彼女は背もたれにもたれながら、 「はーっ。」 と、深い溜息を吐いて天上をボーッと見つめた。彼女がこれほどまでに仕事に精を出し、みんなが帰った後も、すぐに帰ろうとしないのには訳があった。 「・・・残念ですが、」 医師はそう、亜琉葵に告げた。 「嘘でしょ?。」 あまりに突然のことに、彼女は何が起きたかを理解出来なかった。流行病で突然、一人娘を失ったのだった。全身の力が抜け、彼女はベッドの柵を握りながら、病室の床にへたり込んだ。あまりの落胆ぶりに、親族もかける言葉を失った。葬儀やその後の手配は、彼女に代わって親族が行った。彼女は立っているのかどうかさえ解らないほど、呆然としていた。親権を巡って泥沼の訴訟劇を繰り広げた前夫も、彼女のに何といってあげたらいいのか解らず、祭壇に手を合わせて涙を堪えるのが精一杯だった。 「亜琉葵、アタシ達、もういくから。一人で大変だと思ったら、何時でも戻っておいで。ね。」 家から飛び出す際にギクシャクした母親も、彼女のために何とか力になってあげたいと、傍らでそういった。だが、彼女は生気を帯びた反応を示さなかった。小さな白い袋と遺影が彼女に手渡された後、それをどうやって部屋まで持ち帰ったのか、そして、それから二日間、どうやって過ごしたのか、亜琉葵は全く覚えていなかった。ただ、食事も取らず、眠りもせず、バルコニーの隙間から風がカーテンを揺らしていた。明け方には日が差し込み、夜更けには月の光が差し込んで、彼女の頬を優しく照らした。そして、恐らく三日ほどが経ったであろう頃、 「・・・仕事、いかなきゃ。」 彼女は急に思い立って、立ち上がろうとした。体に全く力が入らなかった。そりゃそうである。何も口にしていなかったのだから。そう気付くと、彼女は這うように台所までいくと、冷蔵庫にあるものを適当に取り出して、それを鍋にぶち込むと、調味料と一緒に炊き始めた。そして、コトコトといい始めた頃に火を止め、少し冷ますと、傍らに置いてあるパンと一緒にそれを食べた。まだ熱い野菜とベーコンのスープが彼女の体を刺激した。 「食べ物って、こんな味だったかな・・。」 彼女は一心不乱に鍋の料理を平らげた。そして、バサバサになった髪を櫛で整え、目の下の隈が隠れる程度に最低限の化粧をすると、出かけ自宅をして部屋を出た。 「おい、亜琉葵君。もういいのか?。」 部長以下、オフィスの同僚達は驚いた。 「ええ。ご心配をお掛けしました。」 「いや、それは構わんのだが、娘さんが亡くなって、まだ日も浅いというのに、無茶しちゃ駄目だろう・・。」 えらく心配して部長はそういったが、 「いえ、もう大丈夫ですから。それに、アタシから仕事を取ったら、何も残りませんから。お願いです。どうか働かせて下さい。」 そういうと、亜琉葵はお辞儀をした。 「うーん、まあ、キミがそういうのなら。だが、くれぐれも無理の内容にな。」 「はい。」 彼女は職場復帰の了解を得ると、デスクに戻って溜まってる書類に目を通し始めた。ほんの数日休んだだけで、頭の回転というものは、かくも落ちる物なのだろうかと彼女は感じた。しかし、そんな素振りをおくびにも出さず、彼女は仕事に没頭した。そして、そんな風にしている方が、やはり自分にとっては落ち着くことが出来るのだと、彼女は思った。  いつもなら、どんなに作業を続けても集中力が途切れたり、急に疲れが襲ってくるといったことは無かったが、流石にあれだけのことがあった後の出勤では、体が保たなかった。そんな様子を悟られまいと、亜琉葵はこっそり席を立って、誰もいない会議室や備品倉庫に忍び込んでは一息つくようになった。 「はーっ。やっぱ、キツイかな・・。」 今日も掃除用具のおいてある部屋の奥で腰をかけながら寛いでいると、誰かが入ってくる音がした。亜琉葵は慌ててパーテーションの奥に身を隠した。 「ねえ、亜琉葵さん、戻って来ちゃったわね。」 「ビックリよねえ。娘さん、亡くなったばかりだっていうのに。」 声の主は、同僚とその後輩の女子のようだった。 「タフなのは解るけど、こういう時こそ、ゆっくりしてもらいたかったわねえ。」 「そうね。仕事が出来るのは解るけど、あんなに頑張られちゃ、こっちの立つ瀬が無いってもんよね。」 「あんなに気遣いとか出来るのに、どうしてそういう空気は読めないのかしらね?。」 「ま、優秀な人あるあるじゃない?。」 「あ、それ、解る!。」 二人の女子は、そういいながら部屋を出ていった。自分のことについて語られ出したと解った時、亜琉葵の心臓は飛び出しそうになった。そして、その内容が自身への批判だと知ると、今度は心臓が一気に締めつけられるような苦しみを感じた。 「アタシがやってることって、そんなにいけないことなの・・?。」 彼女は自戒の念に苛まれた。ただでさえ失意のドン底にいるのに、それを払拭しようと思って出社したら、今度はこれである。彼女はもう、この部屋から出ていくのはよそうとさえ思った。それでも、彼女は自身を奮い立たせると、何事も無かったかのように部屋を出て、自身のデスクに戻って作業を続けた。 「こんな苦しい状況を、誰かに理解してもらおうという気持ちが間違ってるのなら、せめて、もう誰もアタシのことを煩わさないで・・。」 そう念じながら、亜琉葵はひたすら画面と向き合って仕事に没頭した。そして、今日も自分が一番遅い退社かなと思っていたその時、 「亜琉葵君、ちょっといいかな?。」 と、部長が彼女のブースまでやって来て、小声で喋った。 「はい。」 彼女は何事だろうと思い、部長のオフィスまでついていった。そして、後ろ手にドアを閉めると、 「実はね、キミが休みを取る前に出してくれた企画書なんだけど、あれ、ちょっとマズいんだ。」 「え?、それは一体・・、」 彼女は驚いた。今までの経験を生かして、可能な限りの努力を費やして書き上げた企画書だっただけに、彼女は部長の言葉が信じられなかった。 「あの企画のコンセプトは、そこまでエッジの効いたもので無くてもいいというか、解るね?。」 「はあ・・。」 「今はユーザーをグイグイと引っ張っていくみたいな力強いものじゃ無くて、もう少し、選択の余地を残すっていうか、そういうものが好まれるんだよなあ。」 「あの、端的に仰って下さい。アタシの企画はボツってことですか?。」 彼女は少し強い口調で、部長を睨んだ。部長は口を真一文字に結んで、 「うーん、申し訳無いけど・・。」 部長はさらに言葉を続けようとしたが、 「解りました。」 そういうと、亜琉葵は一礼して、部屋を出た。すると、あまりにやるせない感情が、彼女を急襲した。彼女は前後不覚になって、戸口の所でへたり込んでしまった。そして、妙な物音に気付いた部長がドアを開けると、 「おい、大丈夫か?。」 と、部長は座っている彼女の腕をもって起こそうとした。しかし、 「大丈夫ですからっ。」 と、彼女は部長の手を払いのけると、スタスタと自身のデスクのところまで真っ直ぐ歩いていった。そして席に着くと、最早何もする気力すら湧かなかったが、モニターを睨んで仕事をするふりを続けた。その様子を見て、部長もそれ以上は声をかけづらくなったらしく、帰りの挨拶だけを軽く伝えると、そそくさと退社していった。誰もいなくなったのを確認すると、亜琉葵は机にへたり込んで、 「・・・消えたいなあ。もう。」 何かの糸がプッツリと切れたように、思わず吐露した。そのままの状態が、どれ程続いただろうか。 「グーッ。」 彼女の腹の虫が鳴き出した。せめて、この虫を収めようと、彼女はオフィスの電気を消すと、会社を後にした。あまりに寂しすぎる家で食事を取るのは辛かったので、近くのコンビニで簡単なスナック類を買って、それでエネルギーの補給にしようと彼女は考えた。 「すいません、これ下さい。」 そういうと、彼女はレジの横にある揚げ物と温かい飲み物を買って店を出た。そして、すぐ横にある公園のベンチに一人座りながら、質素な食事とも呼べない、食べるという行為をした。 「あ、案外、美味しいかも・・。」 娘が元気だった頃は、どんなに仕事で遅くなっても、家で食事を作るのが彼女のルーティーンだった。しかし、それをもうする必要が無くなった。こんなラフな食べ物を食するなんて、何年ぶりだろうかと、彼女は思った。  小腹が満たされて、亜琉葵は少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。 「やっぱ、食べなきゃ・・だな。」 そういうと、彼女は傍らにあったゴミ箱に食べた包み紙を、そして、近くにあった自販機の横にあった空き缶入れに飲み干した缶を捨てると、夜の街を彷徨った。このまま誰もいない家に帰っても、また気持ちが沈むだけだし、何処かで一杯ひっかけたところで、職場の同僚のことを思い出すだけだと、彼女は思った。ならば、このままアテの無いまま、彷徨えばいいかと、そんな風に辺りを見回しながら、亜琉葵はひたすら歩いた。 「みんな幸せ・・なんだろうなあ。」 今の彼女には、目に映る誰もが、自身より幸福感に満たされているのだろうと、そう思い込みながら、次の交差点を曲がろうとしたその時、 「何だろう・・?。」 と、左のショーウインドーから、優しく淡いオレンジ色の光が零れてくるのが見えた。亜琉葵はその前まで来ると、硝子越しに中を覗き込んだ。 「へー。ペットショップかあ。」 そこは小さなペットショップだった。手前には子猫が遊ぶスペースが設けられていたが、遊具だけが虚しく転がっていて、猫の姿は見えなかった。夜遅い展示は、猫の健康に影響するとのことで、最近は夕方の早い時間に寝床に連れていくようだった。その奥には、色取り取りの熱帯魚が戯れていた。 「綺礼ねー。」 そんな風に、外から店内の様子を窺っていた亜琉葵だったが、 「あの、良かったら、中に入ってご覧になります?。」 と、若い女性店員が彼女に声をかけてきた。 「あ、すいません。じゃあ、ちょっとだけ・・。」 彼女はペットとは無縁な人生を送ってきた。母親が大の動物嫌いで、自身が幼い頃に小さな生き物を飼いたいとねだった時、烈火の如く叱られたのがトラウマになって、以来、生き物を側で見ることが無くなったのだった。友人に誘われて、仕方なくホームセンターのペットコーナーにいくことはあったが、自分からこんな風に店内に入ることなど、全然無かった。 「わー。色んな魚がいる。あ、こっちはハムスター・・かな?。」 間近で小動物を見るのは、ほぼ初めての体験だった。そして、 「あ、こっちは鳥さん・・かな?。」 ふと見ると、小さな鳴き声はするが、暗くされたブースで、小鳥たちが止まり木の上で眠そうにしていた。 「鳥は夜は目が利かないので、こうやって早い目に寝かせるんです。」 「へー。」 彼女は、そんな鳥の習性を、初めて知った。そんな中、 「あ、こんな所に、インコが・・。」 亜琉葵はレジの斜め前に、一羽の鳥の入った籠が置かれているのに気付いた。他の鳥たちは暗い所で一足先に眠りに就こうとしているのに、妙に灰色がかったクリーム色のその鳥だけ、ライトが煌々と灯る下で、まっ黒な眼でこっちを見つめていた。 「何だろ?、この鳥・・。」 頬を赤らめて、まるで妖怪アンテナのような角がピーンと一本立ったその鳥を、亜琉葵は妙に気になった。 「あ、その子ちゃん、仕舞い忘れてたわ。」 店員さんがそういうと、その籠を奥へ持っていこうとした。 「あの、この鳥は?。」 亜琉葵はたずねた。 「あ、これ、売れ残りで育っちゃったんです。この子だけ、何故か夜に強いので、ついそのまま放置しちゃうんですよね。」 店員さんがそういいながら、籠を仕舞おうとしたが、亜琉葵はその鳥を凝視した。そして、 「おまえ、来る?。うちに。」 と、彼女は咄嗟にそういった。それを聞いた店員は慌てて、 「あの、この子、全然慣れてない、荒れ鳥ですよ。同じ種類の子なら、あっちに雛もいますし、小さい頃から育てた方が、手乗りにはなりますよ。」 そう彼女にいいきかせようとしたが、亜琉葵は全く聞いている様子は無かった。 「この子、下さい。」 彼女はそういって、籠の鳥を指差した。 「は、はい。いいですけど・・。」 店員は明らかに困った表情をしていた。全く鳥を飼ったことの無さそうな客に、慣れてない荒れ鳥を売るのに気が引けたからだった。それでも彼女がずっと鳥を見つめたまま動かなかったので、店員は仕方なく、籠から鳥を捕まえて箱に入れようとした。すると、 「あ、そのままでいいです。籠ごと売ってもらえます?。」 と、鳥を飼う用意の全く無い彼女は、そう申し出た。 「あ、はい。それはいいですけど。」 店員さんは、鳥を飼うのに必要な最低限の道具や餌を持って来ると、彼女に丁寧に飼い方を説明した。しかし、彼女はその鳥から目を逸らすこと無く、 「はい。はい。」 と、店員の言葉に相づちのように返事をした。そして、あまり店員がその鳥を売るのに積極的では無い雰囲気を察してか、亜琉葵は急に店員の方を見ると、 「突然で御免なさい。何か、急にこの子がいいなって、そう思ったもので・・。」 と、理屈は伴わないが、正直な気持ちを伝えた。それを聞いて、 「あ、はい。解ります。出会いって、そういうものですから。最初はちょっと大変かとは思いますが、頑張って下さい。何か解らないことがありましたら、何でも聞いて下さいね。」 と、店員は急に柔和な表情になって、袋に包んだ籠と用具一式の入った袋を亜琉葵に手渡した。彼女は力みの無い笑顔を見せながら一礼すると、店を後にした。  亜琉葵は地下鉄に乗ると、籠を足元に置いて空いている席に座った。車内アナウンスと車輪が軋む音以外は誰も会話はしていなかった。しかし突然、 「ホ、ホ、ホ。売レ残リ。売レ残リ。」 と、軽妙な口調で何かが喋る声が車内に響いた。亜琉葵の足元からだった。シートを被せて暗くはしてあったが、夜目の利く鳥はバッチリ起きていた。彼女は慌てて籠を抱えると、 「シーッ。お願いだから、静かにしてっ!。」 と、赤面しながら籠に向かって懇願した。周りの乗客は、その様子をクスクスと笑いながら、微笑ましく見つめた。亜琉葵は心臓が飛び出しそうに成る程恥ずかしかったが、 「ホ、ホ、ホ、大丈夫カイ?。ホ、ホ、ホ。」 と、籠の声は一向に止まらなかった。終いには亜琉葵も諦めて、周囲に恥ずかしそうに会釈しながら、車内の吊り広告を眺めて、知らんふりをした。やっとの事で帰宅すると、亜琉葵は部屋の明かりをつけて、鳥の入った籠を床に置いた。そして、上着を脱いだ後、籠のシートをそっと外した。あれだけ騒いでいた鳥は、止まり木の真ん中で、ちょこんとしおらしく止まっていた。 「もーっ!。恥かかせないでよねー。」 亜琉葵はそういいながら、鳥を見つめた。すると、鳥は黒いつぶらな瞳をぱちくりさせながら亜琉葵を見つめると、少し首を傾げて角を立てた。 「あら、お冠?。アタシ別に、怒ってないわよ。」 彼女はそういって、宥めようとした。彼女は全く解っていなかった。それは、鳥の嬉しいというサインであったことを。そして、彼女は洗面所にいって手洗いとうがいを済ませると、今日買ってきた鳥の餌を袋から取りだして、籠の中に備え付けられた餌入れと水入れに餌と水を足した。鳥はちょこんと上の段から下の止まり木に下りてきて、餌を食べ始めた。 「ポリポリ。ポリポリ。」 鳥は嘴で起用に実を剥くと、皮だけを口の脇から捨てて、ひたすらみを食べ続けた。 「はーっ。アンタが美味しそうに食べてるのを見てたら、こっちもお腹が空いてきちゃったわ。」 そういうと、彼女は今朝作った料理の残りを温め直して、鳥の横で一緒に食べ始めた。 「あー、美味しっ。」 彼女はそういいながら、鳥と一緒にもりもりと晩ごはんを食べ始めた。鳥は餌に集中しているようだったが、ちゃんと亜琉葵の方を常に気にしながら餌を食べていた。 「今日は久しぶりに飲むかな・・。」 彼女はそういうと、冷蔵庫の奥から缶ビールを取りだして、 「プシュッ!。」 とプルトップを開けると、美味しそうにビールを飲んだ。 「プハーッ!。」 その様子を見ると、鳥も水入れから水を飲んだ。そして、 「プシュッ。」 と、プルトップを開ける音を真似した。 「アンタ、覚えるの、早いわね?。」 亜琉葵は熟々感心しながら、またビールを飲んだ。そして、つい微睡み出すと、彼女は布団も敷かずに、ソファーにもたれて目を閉じた。 「何か、甘くていい香り・・。」 亜琉葵は、普段は漂ってこない、耽美な香りに癒されていった。 「ホ、ホ、ホ。オヤスミナサーイ。ホ、ホ、ホ。」 そういいながら、鳥も瞼が重たくなり出したかと思うと、首をクルッと後ろに回して、自身の羽根の間に頭を入れた。こうして、彼女と鳥の、やれやれな一日が終わった。  翌朝、 「あらっ、いけない!。」 と、彼女は肌寒くなって、突然目覚めた。ふと前を見ると、籠の中で何かフワッとした物体が丸くなって寝息を立てていた。 「へー。鳥って、こうやって寝るのね・・。」 彼女は鳥を起こさないように、そーっと籠に近付いて観察した。片足で止まり木に止まりながら、呼吸するたびに少し揺れる鳥の体を、亜琉葵は何とも心地よさそうに見つめた。 「生きてるんだねー。」 籠の中からは、例の耽美な香りが漂ってきた。生き物を飼うのって、何か臭いイメージがあったが、全然そんなことは無かった。嗅いだことの無い、優しい香りに、彼女はついうっとりとした。そうやって、暫く見つめていると、 「ん?。」 といった表情で、鳥が背中の羽根から顔をもたげて、こっちを見た。 「あら、おはよう。」 亜琉葵は声をかけた。すると、鳥は角を立てながら、首を縦に振った。 「わ、何?。ダンス?。」 やはり彼女は知らなかった。それが、鳥の友愛の証であることを。 「ところで、アンタ、手には乗らないのかな?。やっぱり。」 彼女はTVで見かけた手乗りインコのシーンを思い出した。店員さんはこの鳥を荒れ鳥といっていたのを思い出したが、彼女はそーっと籠の入り口を開いてみた。 「来る?。」 そういって、彼女はかごの前に手の平を出してみた。鳥は不思議そうに手を見つめていたが、やがて、 「ガシャン。」 と、入り口の所に飛び移ったかと思うと、次の瞬間、 「バサバサッ!。」 と勢い良く羽音を立てながら、部屋の上空を旋回した。 「わっ、埃が・・・。」 照明器具の上に積もっていた埃が降り注いできたが、鳥は気が済んだらしく、次の瞬間、 「ストッ。」 と、亜琉葵の右肩に着地した。  彼女は一瞬驚いたが、鳥の足から伝わる、何かに掴まる力と、帆の温い体温が、彼女に得もいえぬ安堵をもたらした。 「オマエ、慣れてないんじゃ無かったの?。」 亜琉葵がそういうと、鳥は角をピンと立てて、 「ホ、ホ、ホ。」 と囀りながら、首を上下に揺すった。彼女はそれが何を意味するのか未だに解っていなかったが、 「ま、機嫌いいなら、それでいっか。」 そういうと、籠から餌入れと水入れを取りだして、お膳の上に置いた。 「さ、籠の中じゃ、狭かろう?。此処でお食べ。」 彼女はそういいながら、右腕をお膳の上まで伸ばした。すると、鳥は横歩きしながらゆっくりと亜琉葵の腕を滑るように下りていった。そして、餌入れの縁にピョンと飛び乗った瞬間、 「ドシャーッ。」 と、鳥は自身の重みで餌入れをひっくり返してしまった。カーペットの上は、たちまち零れた餌でいっぱいになった。それに慌てた鳥は、ピョンと水入れの縁に飛び移ろうとしたが、 「バシャッ。」 という音と共に、今度は餌入れもひっくり返してしまった。 「わーっ!。何てことを・・。」 餌の粒を手でかき集めていた亜琉葵の頭上に水が降り注いだ。 「ちょっと、もーっ!。」 亜琉葵は顔を上げて、鳥にお説教しようとした。すると、 「ホエ?。」 と、鳥は首を傾げながら、黒いつぶらな瞳で亜琉葵を見つめた。そのとぼけた顔を見て、 「・・・何だかなー。ああ、もう、いいわ。何でもいいから、そこで大人しくしててちょうだい。お願いだから。」 と、癇癪を起こす気が一気に失せてしまった。鳥相手にいくら言葉を並べて叱った所で、何にもならない。亜琉葵はそう思った。そして、カーペットの掃除を終えると、彼女は少し重たい陶器の餌入れと水入れを用意した。 「はい。これなら流石にひっくり返さなくても済むでしょ?。」 と、二つを鳥の前に差し出した。すると、 「ホッホー!。」 と、鳥は鳴き声を上げると、美味しそうに餌を啄み始めた。しかし、頭を震わせながら食べるので、何だか食べる量よりも零す量の方が多いような気がした。そして餌を食べ終わると、今度は水を飲み始めた。ちょっと飲んでは、 「プシュッ、プシュッ。」 と、何だか咽せるような仕草を何度もしては、辺りを水浸しにした。 「あのさー、もーちょっと、お行儀良く出来ないかなあ・・。まあ、いっても無駄だとは思うけど・・。」 初めて飼う鳥というのは、概ねこんなものなんだろうかと、半分溜息混じりに、しかし、何とも温かい眼差しで、亜琉葵は鳥のそんな様子を、ずっと眺めていた。そして、 「あーっ、いっけね!。」 彼女は壁に掛けてある時計の針を見て驚いた。久しぶりの晩酌と、鳥を眺めていたせいで、出勤直前の時間になっていた。慌てた彼女はキッチンからパンを持ってきて、袋から出して囓ろうとした。と、その時、 「バサッ!。」 と羽音を立てながら、鳥が彼女の腕に止まったかと思うと、横から彼女のパンを分捕ろうと、忙しく啄み始めた。 「こらっ!、ちょっ、これはアタシのパンよっ!。」 彼女は鳥と格闘しながらも、何とかパンを口に押し込んだ。そのパンがどうしても欲しかったのか、鳥は彼女の口元に何度も嘴を寄せて、それを奪い取ろうとした。彼女は必死でパンをモグモグと咀嚼すると、 「ゴックン。はい、残念でしたー。」 と、空っぽの口を鳥に見せた。鳥は不思議そうに口の中を覗き込みながら、そこが空っぽなのに気付くと、再び飛び立って、自分で籠の中に入っていった。 「おー!、やるな、おぬし。」 そういいながら、彼女は慌てて出かける支度を済ませると、 「じゃあ、いってくるから。餌と水は此処に置いとくから。」 そういいながら、亜琉葵は鳥に手を振りながら部屋を後にした。滑稽なバトルに、彼女は出勤前だというのに、妙な疲労感を覚えた。しかし、 「鳥って、あんなにフワフワで、あんな温かいんだ・・。」 と、さっきの感触を思い出しながら、不思議と軽やかな気持ちになっていた。そして、オフィスに到着すると、いつものように出来る顔を演出しながら、 「おはよう。」 と、同僚達に声をかけながら、自分のブースに向かって颯爽と歩いていった。ところが、 「あの、先輩。」 後輩の女性が亜琉葵に声をかけた。 「ん?、何?。」 「背中に何か付いてますけど・・。」 そういわれて、彼女は上着を脱いで、背中側を見た。すると、 「わっ!、何、これ?。」 背中の中央付近に、白と緑の混ざって乾いた石膏のような物体がこびり付いていた。 「鳥の糞・・ですね。これ。」 後輩はそういいながら、ウエットティッシュでそれを丁寧に取ってくれた。 「わー、ゴメン、有り難う。」 「いえ。」 亜琉葵は、いつもならキリッとした姿が台無しだといわんばかりにイラッとするところを、何故か不思議とお礼の言葉さ先に出た。すると、 「先輩、鳥、飼ってるんですか?。」 と、後輩がたずねた。 「・・うん。昨日、急にね。」 「え!、どんな鳥です?。」 後輩は急に目を輝かせると、亜琉葵にたずねた。 「荒れ鳥・・っていってたかな。」 「それは、品種じゃ無いです。」 亜琉葵の言葉に、後輩は思わず突っ込んで、苦笑いをした。  後輩は亜琉葵に鳥の特徴を色々とたずねた。角を立てながら威嚇して、矢鱈とヘッドバンギングするパンクな鳥であると、亜琉葵は説明した。 「それ、オカメちゃんじゃ無いですか?。」 「オカメ?。」 「オカメインコのことです。ほっぺに紅い丸い模様があるでしょ?。」 「あ、確かに。」 亜琉葵は、このとき初めて、家にやって来た鳥の種類を知った。 「あの、今度、見にいってもいいですか?。」 後輩は目を輝かせながら、彼女にたずねた。 「・・ええ、それは構わないけど。」 日頃から同僚達と特に親しく付き合うことの全く無かった亜琉葵だったが、鳥の取り持つ縁で、不思議な繋がりが少しずつ出来はじめていった。後日家で会う約束を取り付けると、後輩は自分のデスクに戻っていった。亜琉葵もいつものように自身のデスクに着くと、仕事に没頭した。大きな喪失感は、すぐには埋まらなかったが、それでも、体と頭を動かしたり、後輩と鳥の話をしたりすることで、少しずつではあるが、無理なく自分のペースで仕事の感覚が戻ってくるのを、亜琉葵は感じた。 「ふう。ちょっと一服するか・・。」 根を詰めて仕事をするのにも慣れてきたが、たまに小休止をいれようと、亜琉葵は席を立つと、コーヒーのサーバからカフェオレを注いで、それを以て例の部屋に入って寛いだ。すると、また前のように、誰かが部屋に入ってきて、 「ねえ、知ってる?。例の中途採用の子。あの子、社長のコネ入社なんだって。」 「え!、そうなの?。」 「それにね、例の亜琉葵先輩が進めてた企画書あったじゃない?。あれも、手応えがいいって解った途端、部長がその子に丸投げしちゃったらしいのよ。」 「えー!、それって、泥棒と一緒じゃん。」 「まあね。でも、会社って、そういうものかもねえ。スタンドプレーは逆効果だし、強い者には撒かれろっていうし、部長はそれを地でいったって感じなのかもね・・。あるいは、先輩のきついキャラに、部長もうんざりしてたのかもね。」 「流石にちょっと、それはいい過ぎかも。でも、当たらずといえど、遠からじかな・・。」 「でしょ?。」 二人はそうこういいながら、部屋を後にした。奥で残された亜琉葵は、きくとは無しに、全て聞こえていた。紙コップを持つ手が、少し震えていた。しかし、 「ふーっ。」 と静かに溜息を吐くと、カフェオレを一気に飲み干して、 「そうだったんだなあ・・、アタシって。」 と、以前なら絶対にしないであろうリアクションをした。仕事上の迂闊なミスや理不尽なことに対しては、例え相手が誰であろうと。徹底的に詰め寄って事態を打開するような、猛烈社員だった亜琉葵。しかし、そこの見えない喪失感と、そこからほんの少し、自分の体をフワッと持ち上げてくれたような些細な出来事が、彼女の心に少しずつ変化をもたらしていた。部屋を出ようとした時、偶然にも部長に出くわした亜琉葵は、一瞬、部長の目を見た。部長は例の企画書について後ろめたさがあったのか、目が泳いでいるようだったが、彼女は、 「色々お気遣い、有り難う御座います。」 そう優しくいうと、少し微笑んで部長に一礼した。 「あ、ああ。」 部長は何のことかサッパリ解らなかったが、彼女が激高して詰め寄ってこないなら、それでいいかと、内心ホッとした。そして、立ち去ろうとする彼女に、 「亜琉葵君・・。」 「はい?。」 部長は急に彼女を呼び止めた。しかし、 「あ、ゴメン。何でも無い。済まなかった。」 といいながら、その場を後にした。そして、彼女がいなくなったのを見届けると、 「彼女、何か変わったなあ・・。」 そう呟きながら自身のブースへ戻っていった。  その日の午後、亜琉葵は久しぶりに外回りだった。外に出て日に当たることも、色んな人と話すのも、以前は何てこと無いというか、寧ろ積極的にこなしていたが、今はそんな普段の事も、今まで通り上手くやれる自身が無かった。 「ふーっ。例の工場かあ。また納品遅れかな・・。」 亜琉葵が向かったのは、取引のある工場長の所だった。常に納品が遅れ、その都度、辻褄の合わないいい訳ばかり聞かされて、亜琉葵はその都度、理詰めで相手をねじ伏せては、何とか納期に間に合わせていた。 「御免下さい。」 「ああ、亜琉葵さん。スマン。また二、三日、機械の具合が悪くてなあ・・。」 亜琉葵の顔を見るなり、工場長は早速、いい訳を並び立てた。すると、 「はい。」 と、亜琉葵は工場長の顔の前に、缶コーヒーを差し出した。 「あ、ああ。すまんね。」 工場長はそういうと、彼女からそれを受け取った。そして、彼女も上着のポケットから小さい缶コーヒーを取り出すと、二人して一緒に飲み始めた。そして、 「二、三日ぐらいで、大丈夫です?。」 彼女はそういいながら、工場長の顔を覗き込んだ。 「あ、ああ。それだけあれば、何とか。」 「じゃあ、四日後に、またたずねてみます。それでもダメだったら、」 「ダメだったら?。」 「何かご馳走して下さいね。」 亜琉葵はそういうと、工場長の肩をポンと叩いて、その場を後にした。外回りが済むと、亜琉葵はすぐに会社に戻るはずだった。しかし、今日は不思議と足が会社に向かなかった。彼女はそのまま歩いて、近くにある噴水の辺りで足を止めた。無駄に水を重力に逆らって、何の意味があるのかしらと、常日頃かそう思っていた亜琉葵だったが、 「水が飛び散って、空に向かって消えていく・・。」 そんな風に、普段とは全く異なる感じ方で、ただボーッと噴水を眺めていた。その周りには、若いカップルや、仕事の途中で一休みしているサラリーマン達の姿があった。そして、 「チュン、チュン。」 と、いつの間にか、亜琉葵の足元に数羽のスズメが寄ってきていた。 「あら、何?。」 彼女は別に食べ物を持っていた訳では無かったが、スズメたちはまるで餌でも貰えるのではという期待感で、羽根を小刻みに震わせながら、亜琉葵の周りをピョンピョンと跳びはねて回った。彼女は仕方なく、近所のコンビニにいくと、あんパンと缶コーヒーを買って、再び噴水の近くに戻って来た。そして、 「はい、お食べー!。」 そういうと、あんパンの端を手で千切って、群がるスズメに分け与えた。 「ジュッ。ジュッ。」 スズメは低い鳴き声を上げながら、パンを奪い合いながら啄んだ。その様子を見ながら、亜琉葵もベンチに腰掛けて、バンとコーヒーで小休止した。そして、彼女は最後の一口を食べようとしたが、スズメたちがあまりにパンをねだるので、 「しょうが無いわねえ・・。」 そういいながら、残りのパンを手で細かくちぎって、足元にばら撒いた。 「ジュッ。ジュッ。ジュッ。」 スズメたちは最後のパンを貰うと、何か嬉しそうに、一斉に空に向かって飛んでいった。会社に戻ると、彼女は仕事を続けた。そして、いつものように自分が一番最後の退社かと、そう思っていると、 「先輩!。」 後輩の女子社員が、このタイミングを待っていたかのように、亜琉葵に声をかけてきた。 「あら、こんな時間まで残ってたの?。」 「待ってました。先輩を。」 「え。どうして?。」 「今朝の話、もしよかったら、今日お伺いするのは、どうかなーって。」 後輩は亜琉葵の家に来た鳥のことが、相当気になっているらしかった。彼女は、娘の件があって以降、家に人を呼ぶなんて考えたことも無かったが、 「うーん、そうね。じゃあ、仕事切り上げて、いこっか?。」 「わー、ホントにー!。」 後輩は嬉しそうに声を弾ませた。帰りの電車の車中、亜琉葵は後輩にたずねた。 「鳥、好きなの?。」 「はい!。」 「どんな所が?。」 「んー、何か、フワフワしてて可愛くて、手に乗ると足が温かくて、こっちが喋ってると、何だか話を解ってくれてるような気がして。」 「ふーん。」 亜琉葵はそういいながら、家に迎えた鳥のことを思い出していた。理由も解らないままの衝動買いで連れ帰った鳥ではあったが、いわれてみれば、彼女のいっていたことは、その通りだなと思った。そうこうしているうちに、二人は亜琉葵の部屋の前に着いた。 「ガチャッ。」 彼女がドアの鍵を開けると、 「わっ!、何、これ?。」 玄関の向こうには、何処から引っ張り出して来たのか、様々な物体が散乱していた。亜琉葵は慌ててそれらを拾って片付けながら、奥まで進んでいった。しかし、いけどもいけども、片づけ物は無くならなかった。 「あっちゃーっ!。」 奥の部屋は、殆どの小物が下に落とされていた。そして、 「ホッホーッ!。」 と、その中心に置かれたお膳の上で、鳥はご機嫌な様子で角を立てながら鳴き声を上げて、二人を迎えた。 「わー!、オカメちゃん!。」 後輩は部屋の散らかり具合には目もくれず、誇らしげに胸を張る鳥の方に進むと、正座をしながら、 「こんにちわっ。」 と、にこやかに鳥に挨拶をした。亜琉葵はやっとの事で散らかっていた物を片付けると、冷蔵庫から飲み物を取り出して、後輩に手渡した。 「はい。」 「あ、すいません。」 「ふーっ。鳥って、こんなにヤンチャなのね。ビックリ。」 亜琉葵がそういうと、 「鳥って、好奇心旺盛ですからねー。特にインコ類でも、中型インコは利発だし、すぐに色んな事を覚えちゃいますよ。」 後輩はニコニコしながらジュースを飲みつつ、お膳の上の鳥を眺めた。 「利発・・・ねえ。」 確かに、屈託の無い散らかし方は、普通の動物には出来ないことなのかなと、亜琉葵は思ったが、それでも、利発さについては承諾しかねた。昨日の鈍臭い鳥の仕草が、頭に焼き付いていたからだった。  二人が話している間も、鳥はティッシュを箱から引っ張り出しては、ビリビリ破いたりと、好き放題しながら楽しんでいるようだった。 「で、アナタ、鳥が好きだったの?。」 亜琉葵は後輩にたずねた。 「うーん、嫌いではなかったですが、何か急に飼いたくなったんです。」 「それは、どうして?。」 「実は・・、アタシには年の離れた妹がいたんです。でも、その子が数年前に亡くなって・・。」 そういうと、後輩は俯きながら悲しそうな顔をした。 「御免なさい。余計なこと聞いちゃって・・。」 亜琉葵は慌てたが、 「いえ。大丈夫です。もの凄い仲のいい妹だったので、アタシも最初は彼女が亡くなったことが全然受け入れられなくて。で、そんなある日、ふと思い立ったというか、明るい性格の子だったから、そんな華やかな鳥を飼ってみたいなって思って。」 「そうだったの・・。」 「で、こんなこと聞くと申し訳無いかなとは思ったんですが、先輩も、先日娘さんを亡くされたって伺って、で、その後、鳥を飼ったって知ったので、ひょっとしたらアタシと同じような、何かこう、心の中に変化みたいなものがあったのかなって、そう思って・・。」 後輩はそういうと、少し申し訳なさそうに亜琉葵の顔を見た。 「うーん、多分、そうかも知れない。今も、気持ちが元通りって訳では全然無いんだけど、でも、この子と急に出会ってから、確かに少しずつだけど、気持ちに変化があったかなとは、何となく感じるなあ。」 そういいながら、亜琉葵はお膳の上でご満悦な鳥に、指を差しだしてみた。 「大丈夫ですか?。荒れ鳥って聞いたんですけど・・。」 後輩は心配そうに見守っていたが、鳥は亜琉葵の指に気付くと、 「ガブッ!。」 と噛み付いた。亜琉葵は一瞬痛そうな表情をしたが、鳥はその後、噛むことは無かった。そして、 「ホッホーッ。」 とご機嫌な声を上げると、亜琉葵の指にひょいっと飛び乗って、肩まで横歩きで上ってきた。 「わー、手乗りちゃんになってますね!。」 後輩はその様子を見て感動した。 「アタシもこうやって手に乗せるのは初めて。」 二人がそうやって笑っていると、鳥は亜琉葵の頬に角を押しつけてきた。 「わっ!、何これ?。威嚇?。」 「違いますよ。喜んでるんです。オカメちゃん。」 何も知らない亜琉葵に、後輩はオカメインコの感情表現を教えてあげた。その後、二人は鳥についてアレコレと話を続けた。後輩は妹の死に直面して、悲しみのあまり、妹を思い出す物には極力目を向けないように努めたとも語った。しかし、鳥と付き合っていくうちに、次第にそんな気持ちに変化が現れて、少しずつ妹の遺した物に触れることが出来ていったこと、そして、ようやく、彼女が本当に天に召されたのだと思えるようになったこと。そういう話を、淡々と語ってくれたのだった。 「そうだったの・・。」 亜琉葵はそういいながら、キッチンの後ろにある白い引き戸の部屋に目を遣った。 「アタシも、このまま悲しみの中に埋没しちゃって、おかしくなっていくのかなって、そう思ってた。でも、そのままじゃいけないっていう、もう一人の自分もいて、そんな自分が何とかアタシを奮い立たせたのかなって。でも、まだ、そこまで。今は日々のことに打ち込むので精一杯。兎に角、仕事に励んで没頭すれば、時間が経って、色んな辛いことも薄らいでいくかなって思ったけど、そうじゃ無かった。そんなときに、この子と出会って、ご覧の通りで、用事は増えちゃうばかりだけど、でも、何か不思議なことに気付いたって感じかな・・。」 亜琉葵はしみじみと語った。 「それって、どんな感じですか?。」 後輩は興味に満ちた目でたずねた。 「うーん、アタシ、実はもの凄く不器用だったんだなって。」 「え?、先輩がですか?。」 亜琉葵の告白に、後輩は驚いた。 「うん。仕事をバリバリやってたのは、実はただのポースだったのかなって。効率とか成果を優先するあまり、何か、大事なものを見落としてたんだなーって。娘がいなくなった時に、全ての時間が止まってしまったような気がして、それがまるで、自分の命も止まってしまったようにも感じて。でも、それでもアタシの時間は、少しずつ動いている。そんなスローモーションのような感覚って、全く味わったこと無かったから。そして、少しだけど、周りを見渡せるようになった時に、この世の時間って、アタシが思っていたのよりも、ずーっとゆっくり流れていたんだなーって。」 「へー。そうだったんですかあ・・。」 亜琉葵の話を、後輩は食い入るように聞いていた。 「でも、それ、凄く解ります。アタシも、息が出来ないぐらいに苦しかったけど、少しずつ強張ったからだが緩むように、鳥ちゃんが助けてくれたような気がします。そして、それ以降はアタシの時間と鳥ちゃんの時間がシンクロしたというか、共に歩んでるような感じかなあ・・。」 後輩は亜琉葵の肩に止まっている鳥を見つめながら、そういった。 「ところで、このオカメちゃん、名前は何て?。」 と、無心な顔で後輩がたずねた。  亜琉葵は唖然とした。そして、ぽかんとした顔で後輩を見つめて黙った。 「・・・・・。」 「え?、もしかして、まだ付けてないんですか?。名前。」 後輩の言葉に、亜琉葵は我に返った。 「・・・ははは。そうなの。実は。」 「じゃあ、今まで何て呼んでたんですか?。」 「鳥・・って。」 後輩は亜琉葵の顔を見つめてキョトンとした。そして、 「あははははっ!。おっかし!。そりゃ確かに鳥ですけどお・・。」 後輩は大笑いしながら涙を流した。それを見て、 「ホホホホホオ!。」 と、鳥も思わず笑い声を真似し始めた。それを見て、 「あはははははっ!。」 と、亜琉葵も大声で笑い出した。 「あはははははっ!。」 「ホホホホホオ!。」 「あはははははっ!。」 二人と一羽の笑い声は、その後、暫く続いた。そして、 「あー。こんな大声で笑ったの、どれくらいぶりかしら。」 亜琉葵は爽快な顔つきでいった。 「癒やされますよねー。鳥ちゃんと暮らしてると。」 後輩も、しみじみとした表情で、そういった。そして、 「そんな風に、心が少しずつ元通りになっていったある日、母とアタシで妹の遺品の整理を始めたたんです。あの子との思い出を振り返って、再び深く悲しむのは怖かったけど、でも、いざやり始めてみると、そうじゃ無かったんです。」 後輩は真顔で話し始めた。 「そうじゃ無いって?。」 「勿論、またあの子との思い出が蘇ってきて、涙が零れました。アタシも母も。でも、そうやって、やっと大泣き出来たというか、これでちゃんと、あの子のことを見送ることが出来たのかなって。今でも妹のことを思い出すことはありますが、でも、楽しかった頃というか、笑顔の妹がいつも浮かぶようになりましたね・・。」 後輩は、何か懐かしそうな顔で、亜琉葵に語った。そして、鳥が鳴いていないのに気付いて、ふとそっちを見ると、鳥はきょとんとした表情で首を傾げながら、黒いつぶらな瞳で亜琉葵の様子を伺っているようだった。 「・・・どうする?。って、問いかけてるのかな。」 亜琉葵は鳥の心を代弁した。 「鳥ちゃんは、人の心を何気に読んでいるみたいですからね。こっちが喜ぶと、鳥も喜ぶし、落ち込んで帰ったときなんか、アタシの肩に飛んできたかと思うと、何もせずに傍らにいてくれたり。」 そういいながら、後輩は亜琉葵の肩に止まっている鳥に、そっと指を出してみた。すると、 「ひょい。」 と、鳥は後輩の指に飛び乗った。そして、 「ホッホホー!。ホッホホー!。」 と、鳴き声を上げながら、嬉しそうに角を立てて頭を上下に揺すった。 「わー!。何か、喜ばれてますね。やったー!。」 後輩も鳥の様子を見ながら、上機嫌になって首を上下に振った。 「全然、荒れ鳥ちゃんじゃ無いですね?。」 後輩はそういったが、 「そうかな?。相当手は掛かる子ちゃんだとは思うけど・・。」 亜琉葵はそういいながら、しかし、優しい眼差しで後輩と鳥を眺めた。そして、その後も二人は一頻り語り合った。 「じゃ、先輩、アタシそろそろ失礼しますね。今日はホント、楽しかったです。」 「アタシも。来てくれて、そして、お話聞かせてくれて、どうも有り難う。」 そういいながら、亜琉葵は後輩を玄関まで見送った。そして、ドアを閉めてキッチンの横を通り過ぎようとした時、 「・・・開けてみる?。」 亜琉葵はそう呟くと、白い引き戸に手をかけて、少し開けようと試みた。しかし、その途端、心臓がドキドキと高鳴り、亜琉葵は嫌な汗をかき始めた。 「はあ、はあ、はあ。」 呼吸を整えながら、亜琉葵は引き戸から手を離すと、 「もう少し・・かな。」 そういって、部屋に戻ってソファーに座った。すると、 「バサバサバサ!。」 と、また鳥がやって来て、亜琉葵の肩にちょこんと止まった。そして、 「ホッホー!。」 と一鳴きしながら、亜琉葵の顔を覗き込んだ。すると、 「もうちょっと。もうちょっと頑張ってから・・。ね。」 亜琉葵は鳥にそう語りかけた。と、その時、 「あ、そういえば、アナタの名前、考えてなかったわね?。」 と、さっきの話を思い出した。 「うーん、ペットかあ・・。今まで飼ったペットといえば、亀ぐらいだもんなあ。」 亜琉葵は幼少の頃に飼った亀のことを思い出していた。そして、 「確かあの時も、亀にカメって名付けてたっけ・・。フッ。」 と、自身のネーミングセンスの無さを思い出しては、ひとりでに笑いが込み上げてきた。 「あー。ごちゃごちゃ考えても仕方ないわ。よーし。見た目でいこう!。アナタは角がピコンと立ってるから、ピコちゃん!。それでいこう!。」 そういいながら、亜琉葵は鳥を見つめて、 「ピコちゃん。」 と読んでみた。すると、鳥は角をピコンと立てながら、 「ホッホホー!。ホッホホー!。」 と頭を上下させて、肩を少し広げた。 「随分誇らしげに踊ってるわねえ・・。」 そういうと、亜琉葵は籠から餌入れと水入れを取りだしてお膳の上に置いた。すると、案の定、 「ドシャーッ!。」 と、ピコちゃんは餌入れをひっくり返して、餌を絨毯にぶちまけた。 「あーあ。この野郎!。」 「ホッホホー!。」 亜琉葵は楽しそうに踊るピコちゃんを、あきれ顔で優しく見つめていた。  そんな風に、亜琉葵は鳥とのドタバタな生活を続けながら、少しずつ以前のような活気を取り戻していった。というよりは、以前とは少し違う自分の生き方を歩み始めていた。 「おはようございまーす。」 「あ、おはよう。」 「おはようございまーす。」 「おはようございます。」 出社すると、自分から朝の挨拶をするようにもなり、仕事はこれまで通りキッチリとはやっていたが、 「休憩しよっと。」 と、あまり根を詰めずに、時折休憩を挟んでは、同僚達とも話すようになった。亜琉葵はコーヒーサーバの前で、紙コップを片手に一休みするのが日課になっていた。 「先輩、何か明るくなりました?。」 「そお?。ま、色々あってしんどくなったから、思い詰めるのはやめようかなって。それぐらいかな・・。」 「それ、凄いことですよね。」 「そっかな・・。」 亜琉葵は意識して何かを変えようとしたつもりは無かったが、確かに以前の自分は、周囲が煙たがるほどのお堅い、ペースノルマに囚われた人格だったのかなと、何気に思うようになっていた。しかし、どんなに懸命に仕事に励んでも、成果や報酬を得ても、そのことで生活を豊かにしていく必要も、そして、そのことを喜んでくれる娘も、今はもういない。今あるのは、鈍臭い鳥との妙だけど、何か微笑まし生活だけだった。 「あ、あのお・・、」 ふと見ると、亜琉葵の前に、書類を持った後輩社員が、少し怯えながら立っていた。 「ん?、どしたの?。」 「こ、これなんですけど、このフォームでいいのかどうか、先輩に見てもらおうとおもって・・。」 「どれどれ、見して・・。」 亜琉葵は書類にサッと目を通すと、 「うん。良く出来てると思うよ。最後の此処を、ちょこっとこんな風にしてみたら、ほぼ完成じゃない?。」 そういいながら、手直しする箇所を優しく伝えた。すると、オドオドしていた後輩の目が一気に輝き、 「わー!、有り難う御座います。以前みたいに怒られたどいしようかと、怖くて怖くて、夜も眠れなかったんです・・。」 そういいながら、後輩は凄く嬉しそうに微笑んだ。しかし、その言葉を聞いた亜琉葵は、 「えー?、アタシが怖かったって?。ゴメン、そんなに怒ったっけ?。」 と、その部分について記憶の無い亜琉葵は彼女にたずねた。 「いえ。アタシの手際が悪かったから怒られただけで・・。」 と、彼女は決して亜琉葵を責めるつもりが無いといわんばかりに、顔の前で手の平を左右に振った。すると、 「そっかー。ゴメンね。はい、お詫び。」 そういいながら、亜琉葵は彼女に美味しいコーヒーをおごってあげた。 「わー、すいません。」 そして、亜琉葵は彼女の肩をポンと叩いて、一足先に休憩を切り上げた。自分のブースに戻った彼女は、椅子に腰掛けて天井を見つめながら、 「何もかも世知辛いって、前はそう思ってたけど、そうさせてたのはアタシだったのかあ・・。」 と、心の中で反省の弁を呟くと、 「よしっ。やろっと。」 そういいながら、亜琉葵は仕事を再開した。そして、やはり今日も亜琉葵が一番最後まで残っていたが、 「鳥ちゃん、あ、ピコちゃんのことも気になるし、この辺で帰るか。」 そういうと、亜琉葵はオフィスを消灯して、会社を後にした。そして、そのまま地下鉄に乗ろうとしたその時、 「よっ!。」 と、声をかけてくる人物があった。亜琉葵は顔を見て驚いた。 「アナタ。」 それは別れた前夫だった。 「ちょっと、いいかな?。」 亜琉葵は娘の親権争いのことや、その後の娘の葬儀の際にも、何一つ言葉を交わすことが無かっただけに、複雑な感情に飲まれそうになった。 「突然来てゴメン。でも、どうしても、キミに伝えたいことがあってね。娘のことで。」 それを聞いて、亜琉葵はハッとした顔で前夫を見た。二人はゆっくりと歩きながら、話をした。亜琉葵は口が重そうだったので、前夫が淡々と語り出した。 「本当は、葬儀の時に話そうかと思ったんだけど、とてもそんな雰囲気じゃなかったからね。ボクの長話が好きじゃ無いキミだから、単刀直入にいうね。あの辛い裁判は、今は本当に申し訳無かったと思ってるんだけど、最後にボクが親権を断念した理由を、まだキミに話してなかったなと思ってね。」 亜琉葵は立ち止まった。そして、 「判決が出たからじゃ無かったの?。」 そう思っていた亜琉葵は、前夫にたずねた。 「恐らく、判決でもそうなるだろうとは思ってたんだけど、実は、そうじゃ無かったんだ。あの子がね、アタシはパパのことも大好きだけど、ママを一人にはしておけないって、そうボクにいったんだ。それを聞いて、ボクは何て罪なことを、この子にしてるんだろうと悔やんだけど、その時はどうしようも無かったんだ。だから、せめてあの子がいう通りにしてあげようと、そう思ってね。」 そういいながら、前夫は少し涙目になっていた。それを聞いた途端、亜琉葵の心の中で何かが崩れるような音がした。  色んな事に追われていて、亜琉葵は周囲の思いやりに全く気付けていなかった。苦しいのも、悲しいのも、自分一人だと思い込んでいた亜琉葵は、自身の迂闊さ、いや、愚かさに打ちのめされた。前後不覚になった。そして、大粒の涙をポロポロと零しながら、前夫の手を取ると、 「・・・御免なさい、御免なさい。」 そう繰り返しながら、嗚咽した。彼は、そんな亜琉葵を、優しく抱きしめた。すると突然、亜琉葵はハッとなって、 「アタシ、いかなきゃいけない場所があるの。またすぐ連絡する。」 そういうと、彼に必ずまた会うよう伝えると、その場で別れた。亜琉葵は急いで家に戻った。そして、玄関を開けるなり、キッチンの横にあった白い引き戸に手をかけた。そして、 「ガラガラガラ。」 と、戸を開けた。薄暗い部屋にそっと踏み込むと、微かに娘の匂いがした。そこは、かつて娘が使っていた部屋だった。あの日以来、亜琉葵は戸を開けることが出来なくなっていた。ベッドも、着ていた服も、学校の勉強道具も、あの時のままだった。娘がもういないこと以外は。彼女は急に胸が締めつけられるような苦しさを覚えると、その場に蹲った。 「ゴメン。本当にゴメン・・。今までちゃんと向き合ってあげられなくて。」 彼女は、苦しさを胸に抱きながら、ひたすら泣いた。この痛みが、娘との最後の別れ。そう思いながら。もう、出る涙など無くなってしまっただろうと思っても、涙は止めどなく溢れた。どれくらい時間が経っただろうか。気がつけば亜琉葵は娘の部屋で眠ってしまっていた。気がついた亜琉葵は、ふと顔を見上げた。すると、そこには娘が使っていたランドセルが見えた。そして、 「あれ?、この紐、確か・・。」 亜琉葵は急に思い出した。忙しい時間を割いて、娘と二人で出かけた時に、 「ねえ、ママ。これ、可愛い。」 決しておねだりや我が侭をいう子では無かったが、その時は珍しく、土産物屋さんの小さなマスコットが気に入ったようだった。 「よし。じゃあ記念に買ってあげよう!。」 「やったー!。ありがとう、ママ。」 娘は殊の外、喜んだ。しかし、亜琉葵はその後の生活に忙殺され、そんなことなど忘れていた。そして、そのマスコットが何だったのか、亜琉葵は思い出せなかった。と、その時、 「トコトコトコ。」 と、亜琉葵の後ろから小さな足音のようなものが聞こえた。驚いた亜琉葵が振り返ると、暗がりの中に、小さな角を立てたものが、ゆっくり近付いてくるのが見えた。そして、 「ホッホー、ホ・・。」 と、何かを気遣うような鳴き声が聞こえた。 「ピコちゃん・・。」 亜琉葵がそういうと、ピコちゃんは彼女の足からよじ登って、瞬く間に肩までやって来た。そして、彼女の頬を軽く啄みながら、優しく何かをいった。 「ゆるしてあげるよ・・。」 「え?。」 亜琉葵には、確かにそう聞こえた。ハッとなって、彼女はピコちゃんを見た。しかし、そこにはいつものように、とぼけた表情で角を立てながら、首を傾げる鳥の姿があるだけだった。そして、 「そうか・・。お腹が空いてたんだね。ゴメンね。」 そういうと、亜琉葵は立ち上がって、ピコちゃんを肩に乗せながら部屋を出た。そして、お膳の上に餌と水の用意をすると、ピコちゃんはひょいとお膳に下りて、餌を啄み始めた。その姿を見て、 「あー、何だかアタシもお腹が空いちゃったな・・。」 そういいながら、冷蔵庫から食材を取りだして、野菜やハムを刻むと、サッと炒飯を作って、飲み物と一緒にお膳に運んできた。 「いただきまーす。」 そういうと、亜琉葵はピコちゃんと一緒に食事を楽しんだ。そして、その日以降、白い引き戸の部屋が閉ざされることは無かった。数日後、亜琉葵は前夫に連絡をして、二人で娘の遺品の形見分けをした。 「いいのかい?、持って帰っても。」 「ええ。アタシ達の娘の物だし。二人がそれぞれ持っていた方が、きっとあの子も喜ぶわ。」 彼女がそういうと、突然、 「バサバサバサッ!。」 と、何処からともなくピコちゃんが飛んできて、前夫の肩にそっと止まった。 「わっ、何だこれっ!。」 「ホッホホー!。」 彼は大層驚いていたが、ピコちゃんは彼と初対面なのに、妙に嬉しそうだった。亜琉葵はその様子を、微笑みながら見つめていた。 「嬉しいのよねー。ピコちゃんも。おいで。」 そういうと、彼の迷惑にならないように亜琉葵はピコちゃんを指に乗せて、自分の肩にそっと置いた。 「ホッホホー、ホッホホー!。」 ピコちゃんは、二人の間で嬉しそうに角を立てながら、いつまでも頭を上下に揺すっていた。それから数日後、二人は娘の納骨式をようやく済ませた。その帰り際、 「ちょっとお茶でも飲んでく?。」 前夫が亜琉葵を誘った。 「うーん、どうしようかなあー。」 亜琉葵はそういいながら、空を見上げた。そして、優しく彼の申し出を断ると、別れを告げて、その場を後にした。その後の予定は特に何も無かったが、彼女は真っ直ぐに家に帰ると、 「ただいまー。」 「ホッホホー!。」 と、ピコちゃんの出迎えを受けた。そして、キッチンを通り過ぎた横には、引き戸の開けられた部屋が、そして、その奥は綺礼に整頓され、白い額縁に娘の遺影が飾られてあった。
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