第33幕第1場「燔祭」

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第33幕第1場「燔祭」

 火の粉が宙を舞う。まるで星屑のように。  燃え上がる炎が、闇夜を緋に染めて輝く。  古い油彩画に穿たれた穴が見る間に拡がる。硬く張り詰めた糸は縮れ、描かれていた人物の表情も、次第に引き攣れてゆく。  彼らは煙となって伽藍の天に溜まり、辺りを満たした。鼻をつくその臭気は、言うなれば死神の香油だ。  幾度も塗り直された油絵、黒炭のスケッチ、首のもげた(なら)製のモデル人形――遺品の数々を躊躇いなく火に焚べながら、喪服の少女は陶然として、また同じくらい途方に暮れているように見えた。  髪を揺らして振り返る。その墨を落としたような瞳には、幼い無垢な嘲笑と、雌猫のような妖しい慈悲とが、したり顔で同居していた。 「死んだのね、あの人。罪深い人。告悔はしたの? しなかったの? ――そう!」  母親の最期の有様を知るや否や、少女は歓声を上げた。その手から最後の肖像画が離れ、炎の中に吸い込まれる。 「お父様は浮かばれないわ。それとも自ら罪人になられたのかしら。あの人が地獄で独りぼっちにならないように? ……優しい人。ええそうよ、愚かなほどに」  絶望に気が狂ったのか歓喜のために昂揚しているのか、傍目にはまるで区別がつかない。失われた家庭の記憶を留める品のすべてを神にくれてやり、その火に掌を翳して暖をとるという信じ難い冷酷さは、見ているほうが血の気の失せるものだった。 「それで、どうしたい。埋葬くらい手配してもいいが」 「お世話様、結構ですわ。娼婦のお墓に祈るなんて真っ平ですもの」  少女は肩を聳やかしておどけて見せた。死んだ母親を容赦なく扱き下ろす彼女は、そんな自分こそ母親の性質を多分に受け継いでいることを、果たして自覚しているのだろうか。  肖像画の蒼い瞳が焼失する頃、少女はようやく酔いから醒めたように黙り込んだ。はしゃぎ疲れて蹲る、その頬が炎に照り映える。  なまじ涙に暮れている暇などあっては、彼女は二度と立ち上がれなくなるだろう――ルクリース侯爵は、少女の細い腕を取った。羽根のような体は容易く床から浮いた。 「立ちなさい……」 少女は糸の切れた操り人形のようだった。乱れた前髪のあいだから、上目づかいの瞳が覗く。手を伸ばしてくる人間の機嫌を窺っているのか、わざと苛立たせようとしているのか、いずれにせよ魂胆はあるようだった。 「立て、ハラン」 「……はい」  少女は(おろむろ)に起き上がった。花嫁のヴェールのように長い喪服の裾を引き摺って。 「信じてよいのでしょうね? 私にお力添えをくださるというのは……」 「お前の力が必要だから。これは契約だ、無償の慈悲ではない」  それを聞くと、彼女の唇は満足げな微笑に歪んだ。 「当然です。貴方は私の神ではありませんし、私は籠の中の小鳥ではないのですから――――」
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