小指はやはり無い

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小指はやはり無い

 松永啓の父母は、有名な私立学園の経営者という役割を自治体から与えられていた。つまり息子として生成された啓も、当然その学園に通えるだけの学力が必要とされる。  不正などしたら一発でアウトな時代だ。啓には他の生徒以上の能力が求められる。エスカレーター式とは言っても、高校、大学と常にトップで居なくてはいけないという暗黙の了解は、啓にもすぐ見当がついた。  この世に生成されて間もなく、啓は学校の他に家庭教師からも勉強を教わることになった。小指のハンデは、主に母によって世間からカモフラージュされ、友達と遊びに行ったり体育や音楽の授業に出ることは、優しい言葉で禁じられた。    啓は穏やかな性格の男子中学生で、母にわざわざ心労をかける気持ちも起きなかったから、雑談があれば家庭教師や家の者と笑い、運動をしたくなれば父を相手にするなどして、上手くやりくりをしていた。  母はそれを見て嬉しそうにしているから、これが最良なのだろうと。  父も母も良き教育者で、勉強や食事に困ることもなく、このまま系列の大学へ行き、自分も教育の仕事に就くという道がはじめから見えていた。  松永という苗字は、何かを教え諭すような立場に就くことが多いのだと父は言う。 「今はひとくちに教育と言っても、いろんな形がある。啓に先生になって欲しいわけじゃないんだ。学びは他人から指図されてするものじゃないからね」 「そうね。啓の時代になれば、ITやAIを使ってもっとたくさんの学びが得られると思うから、楽しいと思うわ」  父も母も、決して啓に何かを強要したりしない。小指の件だけは何かと制約があるものの、それ以外に啓を苦しめることはない。  なのに啓は息苦しさを感じている。生成されてひと月が過ぎ、半年が過ぎ、中学生最後の冬になった。  寒いからではない。マスクのせいでもない。喉を締め付けられるような息苦しさ。  ──どうして僕は小指が欠けているんだろう。  疑問には誰も応えてはくれない。教科書にも書いていない。勿論父母も家庭教師にも分からない。日々の自問自答は、やがて絶望感を生み出していった。  自分を生成した前の個体、世間一般では番というらしいが、その番とやらは、なぜ小指が欠けていたのか。不慮の事故か、脈々と受け継がれてきた特性なのか、それとも自ら切断したのか。いずれにせよ啓の番は、この小指を以て何を伝えたかったのだろうか。  現代の技術でも再生は不可能なのだろうか。箱が肉体を生成するというのならば、小指の分だけ半固形物を追加したらいい話なのではないだろうか。 (そうだよ。残念ながら僕はこのままだったとしても、次の人のために小指の分だけ半固形物を増やしてあげたらいいんじゃないか?)    絶望感を少しでも消したくて、啓は自分が生成された自治体を訪ねてみることにした。  前の個体情報は保存されていないものの、自分が生成された時の状況は、分かる範囲でなら閲覧出来る。  父母には内緒にしておこう。啓は何となくそう思って、自分のマイカードをそっと持ち出した。このカードを持っていき、市役所の窓口で手続きをするのだ。  啓が生成された場所は、現住所からはかなり離れたところにあった。  状態としては、啓を生成するための半固形物の質量に原因不明の不足があったこと。つまり、前の個体が何らかの事情で小指の分の質量を失ったということ。それ以上のことは自治体にも分からないこと。  かなり離れているので、自治体同士の連携はあまり取れておらず、詳細な情報は現地でないと分からないらしい。 (前の人は事故で指を失くしてしまったのかな。だとしたら、自分と型の合う半固形物はこれ以上得られない。人工的に追加しないと)  人工的に半固形物を再生する技術が追いついていないのなら、残念ながら小指のプレゼントは難しい。  啓は諦めて市役所を出た。啓に出来ることはもうなさそうだ。このまま父母の言う事を聞いてしっかり高校と大学を卒業し、万が一心無いことを言われても自信を持って生きていけるよう、しっかりとした知識や経験を身につけていこう。  どういった教育者になるかはまだ分からないけれど、それこそ自分が再生技術の先駆者になるというのもありかもしれない。  それには、とにかく勉強をしないといけない。息苦しさは軽減したかのように思えた。冷たい空気が喉に入ってしまっただけだ、と啓は思い直した。  ポケットに手を入れ身体を少し丸めて、啓は大通りを歩く。姿勢が悪いので、足元しか見ていない。  とある雑居ビルの三階に掲げられた看板とガラス窓に貼られた文字には、当然気付かない。 「真白木塾」
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