啓は探す旅に出た

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啓は探す旅に出た

 啓が小指を諦めてニ年が過ぎ、その後の進路を考える時期に来ていた。大学は勿論、推薦トップで合格間違いなしだろう。教育、医療、ITなどを組み合わせた学問が出来ればと考えている、と父母に話したら手放しで喜んでくれ、大学の学部新設が決定した。  啓は恵まれている。松永という苗字を自治体から与えられていなかったら、こういう進路は望めなかったかもしれない。いやそもそも小指が欠けていなかったら、こんな進路は考えすらしなかったかもしれない。  啓は混乱してきた。市役所でそれ以上調べられずに諦めた二年前。小指を諦めた二年前。  あれで良かったのだろうかと啓は思う。諦めて良かったのか、と。  啓の生成された場所は遠いが、決して行けない距離ではない。行ってみて何も分からなければそれでもいい。諦めてしまったら、分かったかもしれないことですら分からない。  やりたいことが見えてきた今、啓はニ年前のような絶望感からではなく、小指を探す旅に出ようと決心した。 「あの、別の市役所ではこの情報しか取得出来なかったんですが、これで全部かどうかって確認出来ますか?」  数時間の移動を経てやってきた地域に、啓はまったく覚えがない。スタートの年齢にもよるが、生成されたばかりの個体は、苗字を与えられるまでの記憶が曖昧だ。  どこから出てきてどの自治体に連れて行かれて、どうやって登録を済ませたかを克明に覚えている者はおらず、自治体から苗字と役割を与えられてようやく人間らしさを獲得するのが、箱から出てきた者の定石だ。  「少々お待ち下さい」  戸籍課の窓口で順番がやっと回ってきたと思ったら、窓口の職員がいつまでも帰って来ない。何か変なことを聞いてしまったのだろうか、啓は不安を抱えながらベンチで待っていた。 「すみません大変お待たせしました三上と申します」  女性が走って来たと思ったら早口で謝り出すので、ぼんやり座っていた啓は慌ててしまった。 「い、いえ、こ、こちらこそ、なんかすみません」 「失礼ながら松永さんの情報拝見しました。私は市役所の職員ではないのですが知り合いに一人心当たりがありましてもしかしたらと」  啓の母よりいくらか若いだろうか、三上という女性はどうもせっかちのようだ。喋りながら啓を促し、個別相談室という小さな個室へと案内する。啓は訳が分からないまま、その案内についていくしかなかった。  個室のドアを開けると、三上は小さなテーブルセットの椅子に座るよう啓に勧めた。 「すみません説明もなしに。そう言えばよく真白木君にも注意されていました」 「ま、しろ……?」 「ええ。右小指のない男性を一人知ってるんです。真白木類。県の事務局に勤めてた人でね、私の後輩なんです」  いきなり核心をついた話をされて、啓は言葉も出ない。 「真白木は、すべての住民が暮らしやすい街づくりに尽力していたんだけれど、ある時残りの人生を賭けて探したいものがあるって仕事を辞めてしまって……あ、そうか。だから松永さんは真白木の番ではないわよね。あの情報だと真白木はまだ箱に入っていないんだから。ごめんなさい私の早とちりだ」  喋りながら情報との齟齬に気付くと、三上は「こういうところもよくつっこまれていたわ」とバツの悪そうな顔した。 「真白木類……さん。いえ。僕が生成された地域に右小指のない人がいたっていうのは、すごい確率だと思います。何か関係があるかもしれません」 「松永さん、学生さんにしておくには惜しい冷静さと判断力だわ。うちの事務局へ来ない?」  三上のキャラクターが場の空気を和ませてくれ、啓の気持ちはだいぶ落ち着いてきた。 「いつか機会があればぜひ。真白木さんは今どちらにいらっしゃるんでしょうか?」 「それがどこにいるか分からないの。落ち着いたら、どこかで私塾を開きたいなんて言っていたけれど、まだ落ち着いていないのかしら。連絡はくれるって言うから待っているのに」  顔に手を当てて心配そうな表情をする三上から、真白木という男性がこの街で好かれていたことを啓は見て取った。  ハンデがあってもそれを言い訳にせずに、誰かのために何かをしようとする真白木像が浮かび上がる。 「真白木君はね、最初の頃は俺なんかが人前に出るのはなんて躊躇していたんだけれど、吉野先生が背中を押してくれたおかげもあって、結果良いものをたくさん作り出した凄い人なの。吉野先生というのは県議会の偉い人でね。真白木君がこの街を出る前に箱に入られてしまったんです。吉野先生には小指はあったな……。あ、ごめんなさいデリカシーのないことを」 「大丈夫です。いろいろ教えてもらった方が探しやすいので」 「はぁ……松永君、本当にうちの事務局に来てほしいわ」  いつのまにか君呼びになっている三上の話しぶりに、啓もすっかり緊張がほぐれていた。 「三上さん。その、吉野先生のことをもう少し教えてもらえますか?」  三上に教えてもらった吉野の家は、車が一台置けるだけのガレージが付いた、県議会の幹部にしては小さめの一戸建てだった。吉野湊斗と表札の残る門扉は固く閉じられ、立ち入り禁止になっている。  三上の知らない間に設置されていたのだろうか、門扉に注意書きの小さな看板が掛けられていた。  管理責任者は真白木類。連絡先の電話番号は──啓の地域の市外局番だった。
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