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箱の中で恋をする
振り出しに戻る? いや違う。彼らはぐるぐると回っている。松永啓、真白木類、吉野湊斗。
吉野湊斗が恐らく啓の番であると啓は推理した。とすると、真白木類は小指の記憶を誰から受け継いだのだろう。
類を探し出せば全てが分かる。
啓は走った。一番早い新幹線の切符を取り、トンボ帰りで地元へ戻る。真白木という名前は珍しいから、探せる手段は少なからずあるに違いない。
移動中に、スマホで真白木という名前の検索をかけた。地域まで絞り込めたおかげでいくつかの情報がヒットし、啓は自分の視野の狭さに、まだ飲めない酒を煽りたい気分にさえなった。
息苦しさから逃れるように歩いた二年前の道。真白木類は、そこに居た。啓のすぐ近くに居たのだ。
雑居ビルのエレベーターに乗り、三階のボタンを少し震える指で押す。
この手で困ってきたことはなかったでしょうか。僕はありがたいことに父母に守られて来ました。あなたは、どうやって生きてきたのですか。
心の中で、啓は顔も知らない真白木へ話しかける。
遠回りしたけれど、記憶が引き継がれないと言われる箱の世界において、啓たちの小指はどういう約束をしてきたのだろう。
「真白木塾」と書いてあるすりガラスの扉をノックし、啓はそっとドアを開けた。
「失礼します」
「どうぞー、早いね。受講の時間にはまだ早……」
パーテーションで仕切ってあるいくつかある個室のひとつから、啓の家庭教師よりはだいぶ年上に見える男性が、マグカップを持って出てきた。休憩中だったようだ。
啓を生徒の一人だと思っていたらしく、初めて見る顔に戸惑っている。
「すいません、生徒さんかと思って。入塾希望ですか?」
「あ、いえ……あの、真白木類さんというのは……」
「俺ですけど」
「僕は松永啓と言います。その、これ……」
言葉より見せるのが一番話が早い。啓は右手を真白木の前へ差し出した。
「知りたいと思って、ここへ来ました」
真白木──類は、暫く啓の「ない」小指を見つめたあと、少し枯れた声で言った。
「そうか。君が吉野先生の番でしたか」
類はマグカップを机に置くと、合言葉を合わせるかのように自分の右手を啓へと差し出して笑った。
「これだけ聞いておきたいんだけど、瑕瑾は君にとって辛いことだっただろうか」
「瑕瑾……惜しむべき傷や欠点、という意味ですね」
「お、凄いね。君は受験生かな?」
「大学の推薦はもらっています。この小指について絶望感のようなものはありましたが、今は何もありません。両親や環境に支えられて、元気に過ごしています」
「なら良かった。吉野先生はある覚悟を持って小指を俺に残した。そして俺は、吉野先生の番が中学生だということを知り、ずっと探していたんだ。この小指のせいで辛い思いを抱えているようなら、支えになりたいと」
ちょっと待ってね、塾のスタッフを呼んでくる。と類は言って、スマホで誰かに連絡をし始めた。啓と話すために時間を取ってくれるようだ。
「オッケー。あ、貰い物のお菓子があるから、食べながら話そっか」
「ありがとうございます。すいません、仕事の邪魔をしてしまって」
「いいのいいの。君に会うためにこの塾を始めたと言っても過言じゃないから」
類はヘラッと笑って、クッキーと缶ジュースを学習机の上に置いた。
案外適当そうな人で、啓はほっとする。運命に翻弄されたと人生を悲観するようなタイプだったら、しんどかったかもしれないと。
「それにしても、よくここが分かったね。俺もずっと探してたんだけどさ、右小指のない中学生。塾を開けば情報が入るかも、なんて安易に拠点を構えたら、意外と忙しくなっちゃってさ、あはは」
案外というよりだいぶ適当な人のようだ。啓はぷっと笑う。
「三上さんという人に教えて貰って、吉野先生のお宅に行ってきました。それで分かったんです、ここが」
「三上さん! 懐かしい。あそこまで行ってくれたのか。松永君、本当にありがとう」
「あの、連絡待ってましたよ。塾の拠点が落ち着いたら連絡くれるって言ってたのにって」
「ああっ忘れてた! 三上さん怒ってた?」
「いえ、楽しそうでした。私もよく真白木さんに注意されてたって。事務局に入らないかってスカウトされました」
「三上さんらしいや」
じゃあ話は早いねと、類はポケットから小さな箱を取り出した。まるでドラマで見るプロポーズの小道具のような箱だ。蓋を開けると、そこには枯れた小指が二本入っていた。
「一本は……吉野先生ですよね」
「うん。もう一本は、榊理一郎先生という人の小指だ」
「榊先生」
「頭の良い松永君はもう分かってるか。榊先生は俺の番。俺たち四人は、箱の運命にほんの少しだけ抗って生まれた、新しい運命だ」
「新しい運命」
「自分たちで作った運命、と言えばいいのかな。俺にもまだよく説明はつかないんだけどね」
「自分たちで……作る……」
「うん。松永君はどうだろう。少なくとも吉野先生と俺は、同性を好きになる指向の人間だ。お互いに好きだという気持ちを持っていた。俺の番である榊先生もそうだったんだろうと思う。というか、そういう魂の記憶を受け継いだ……と俺は考えている」
「だけど、この世界は箱で出来ていて、生き物は皆、箱の中にある運命を受け入れないといけないんですよね。それを番って言うんですよね。そんな、箱に反抗するようなこと……出来るんですか」
「分かんない」
へへ、と類は照れたように頭を掻いた。
啓はそんな類の表情に、肩の力が抜ける思いがした。この人は運命と共に生きて、かつ自分の想いも残そうとしているんだ。多分、他の二人も。
啓ははじめて心を打たれるという気持ちを感じた。この強い想いが何かは分からない。
けれど、真白木類という人を追いかけて、出来れば隣を歩いて同じ景色を見てみたいと思ったのだ。
「真白木さん、僕。この塾でバイトしたいです」
「お、助かる。ちなみにどこの学校に通ってるの? 今は高校生だよね、もう」
「はい、来年松永学園大学に入ります。推薦貰ってるんで」
「え……マジで……トップクラスじゃん……ん? ちょっと待って。松永って、じゃあ君あの松永??」
「たぶんその松永です」
ケーキ、ケーキ買ってくる。コーヒーがいい? 茶葉の紅茶? 類が慌て出すのを見て、啓はとうとう大笑いをした。
類の塾を手伝いながら、啓は数年間を過ごした。瑕瑾という言葉は自分の大切な個性だという確信は、類が持たせてくれた。二本の小指を見ながら
「どうする? これ持って箱に入ったら、小指の分再生されるかな」
「もう無理じゃないですかね。細胞死んでるし」
「だよねぇ……」
なんていう、傍から見れば少し驚くような会話を類としながら、啓は自分の強い想いを何と呼ぶのかを理解した。
これは恋だ。僕は真白木類という人に恋をしている。
啓がそんなことを思うようになった頃、類の元にも箱が現れた。
「なるほどね。分かっちゃった。俺たちの運命」
「な、何ですか真白木先生」
「何でもない。啓君、最後にさ。名前で呼んでくんない?」
「名前ですか。類さん」
「おいおい随分あっさりだなぁ。まいっか。じゃあまたね」
「はい。また」
類は大きな笑顔を見せて箱へ入っていった。類はもう指の落とし物をしない。宝箱を啓に託してあるからだ。
啓の恋心は類には伝わったようだ。それで充分だ。啓の恋心は引き継がれなくても、恋という想いそのものは受け継がれ、箱の中で育つだろう。
啓は自治体に連絡して、新しく生成された個体を引き受けてもらうと、宝箱をポケットに仕舞って、いつものように真白木塾へと戻った。
啓はまたいつか探す旅に出るだろう。今度は真白木類の番を探す旅に。
顔を知らなくても分かる。右手の小指に瑕瑾があり、おそらく彼の苗字は榊だ。
終
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