榊理一郎は忙しい

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榊理一郎は忙しい

 榊理一郎は三十手前の男性だ。勿論この名前も所属も自治体から与えられた。  箱から出てきた新しい個体には、自治体に登録してある中から空きのある名前を割り当てられる。榊という苗字の人間には、人の上に立ってまとめるような役割を与えられることが多い。  ちなみに、個体に割り振られた苗字次第で、個体の特徴が適合してくる。例えば、家族向きとか独身向きとか。与えられた場所に、個体は順応していくのだ。  理一郎は、榊家の当主榊源三郎と妻美奈子の跡取り息子、という役割に収まった。言い換えれば、源三郎が箱に入る日が近いということだ。美奈子も良き日が来れば、榊家の妻という役割から解放されるだろう。  源三郎も美奈子も、この世界で与えられた役割を果たしただけで、本来番うべき相手は箱の中にいる。  ある地方の議会長を成し遂げた源三郎は、自分から自治体へ連絡した。これも人柄や性格、役割によるところが大きい。ひっそりと居なくなりたい人は誰にも知られずに箱に入り、自治体や警察が回収するが、源三郎の場合は、周知しておいた方が迷惑を掛けないだろうと、自然と配慮が回るのだろう。理一郎も、そうでありたいものだと思う。  理一郎は驚いた。源三郎のことだから、家の中で一番豪華な客間かなんかに、高価な箱が設えられるのだろうと思っていた。  それは何もない休日の朝のことだった。  源三郎がお気に入りの日の当たる縁側に、素朴な箱が置いてあった。  体躯の良い源三郎には小さめじゃないかと言ったら、 「どうせ溶けていくのだから関係ないんだよ、理一郎」  と、源三郎は朗らかに笑い、後は頼むと言って箱の中へ消えて行った。  代わりに箱から出てきたのは、30手前くらいの小柄な女性だった。立ち会った自治体の人によれば、彼女は保育士だと言う。彼女もまたこの世界で与えられた役割を果たしに、源三郎から命を繋いだ。その強い絆は脈々と受け継がれていくのだが、彼女の人生はもう理一郎達には関係のないことだ。  彼女は一礼をすると、自治体の人と一緒に役所へ向かった。怪我や病気をすることなく、健やかに彼女の人生を送ってくれたらいいと理一郎は思う。  理一郎は、源三郎や美奈子が作り上げた人脈の力を借りながら、榊家の新当主としてめきめきと頭角を現していった。  与えられた苗字や役割に順応していくとはいえ、十分に能力を発揮出来ないまま人生を終える人もたくさんいる。その中で理一郎は、地域の仕事を取りまとめ、それを中央へ意見する力を持っていた。経験はまだ未熟なところはあるが、知識や人格そして周囲の信頼を武器に、黙々と役割を果たす男。理一郎の評判はうなぎ上りだった。  理一郎の成長を見届けた美奈子も箱へと消え、理一郎は一人、地域の有力議員職を担うことになった。いや、正確には一人ではない。 「榊先生、まもなく会議です」 「分かったすぐに行く」  今、理一郎を支えているのは、秘書の吉野湊斗だ。三年ほど前に理一郎の元へやって来た。美奈子が体調を崩し始めた頃だ。  湊斗のおかげで、仕事も私生活もかなり安定した生活を送れており、理一郎としては、感謝しきりだ。  理一郎が生成されて十数年が経過したが、未だ独り身だ。源三郎における美奈子のような存在は、まだ現れていないようだ。  データや資料は増えても、箱に関することわりは解明し得ないことばかりだ。  いつ自分に箱がやって来て、どういう人間と入れ替わるのかは全くの未知数である。六十代の源三郎と入れ替わった三十代の女性の例がまさしくそれだ。  番という通称の通り、箱に入った性別とは逆の性別が箱から出てくることが多いようだが、稀に同性同士で入れ替わることもある。湊斗は珍しく、番は同性だったと言っていた。ちなみに理一郎もそうだ。それ以上の詳細は自治体からは知らされていない。番の記憶はないので、本人達にも勿論分からない。  分かっているのは、それが彼らにとってベストな組み合わせであるということだけだ。入っていくものと出ていくもの。過ぎても欠けてもいけない、魂の結びつきとしか説明のしようがない関係。  理一郎は時折、箱による奇妙な結びつきに思いを馳せてはみるが、一度として最適解を導き出せたことはない。  今日もそこで考えるのを諦め、湊斗の用意した書類を持って、事務所の椅子から立ち上がった。
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