理一郎は抗いたい

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理一郎は抗いたい

 理一郎の机には、今日も書類や資料が山積みだ。中央から突き返されてきた案件、地元からの要望書。  箱のきまぐれか、二年前に幼児の生成が集中した時には、幼稚園や保育園が足りずに大変だった。となると、次に足りなくなるのは小中学校。  中央に掛け合ったところで、すぐにどうにかなるものでもない。有識者会議も遅々として進まない。家に帰れず、事務所に泊まり込むこともざらだった。  そんな理一郎を、食生活や体調面でもフォローをしてくれているのが湊斗だ。理一郎より年下の湊斗だが、もはや親友いや戦友と言っても過言ではない。  お互いの腹を探り合うような世界の中で、湊斗は、理一郎にとってなくてはならない片腕だ。  この世界に登録された時にはすでに父の跡継ぎだったから、地盤上の付き合いは主に同性だった。  女性に対する興味は元々薄いと理一郎は自覚している。そしてこの後も、この世界で恋愛をしたいと思う女性には出会わないだろう。自分に妻となる個体が添われることはないと感じている。  思いを馳せるのは、出会うことのない箱の中の番だけ。そう理一郎は思っていたのだが、最近の自分は少し変だ。 「榊先生、今日も帰れないかもしれませんね、この調子じゃ」 「本当だよ。綿貫先生、22時に食事会を指定してきたぞ。そんな時間、勘弁して欲しいよね」 「場所はこちらで決めて良いとのことでしたので、野菜中心のこじんまりとした創作和食の店にしておきました。メニューにも胃に刺激を与えるものは控えてもらっています。あと、綿貫先生にはそのあと女性のお店で楽しんでいただけるよう手配済です」 「吉野君、完璧。助かるよ」 「榊先生には、少しでもお休みいただきたいんですけど」 「うん、まあでも案件が山場だからな。仕方ない」 「ですが……病院のお薬も増えてしまいましたし」 「そうだな。少しでもバランス良い食事と睡眠な……ははは」  最近、理一郎は胃の調子が悪い。鈍い痛みを紛らわすように医者から処方された薬を水で流し込み、長丁場の予想される会議へ向かう理一郎の足取りは、いつも重い。  そんな理一郎の後ろ姿を、湊斗が見つめている。その視線に、理一郎は気が付いている。次回こそ綿貫先生の接待は断ろう。湊斗がそう思っていることを知っている。  榊理一郎は榊理一郎という役割を、吉野湊斗は吉野湊斗という役割を果たすために、箱の中から出てきた。だがもし、彼らの生命活動中に辿ってきた遍歴が次の個体へ反映されるのならば、この思いは形を変えて繋がっていってくれるのではないだろうか。そう、もしかしたら今いる自分達も、過去の個体の遍歴が込められているかもしれない。  それを人は、現世では掴めない憧れを込めて番と呼ぶのではないだろうか。  理一郎は痛みを増していく胃を気にしながら、そんなことをつらつらと考える。そろそろ箱に入る日が来るという予兆か。 「榊先生、お疲れ様でした。とりあえず仮眠室へ」 「……うぁ……うん。ありがとう。ごめん、重たいよね」 「気にしないで下さい。飲まないって言ってたのに綿貫先生……」 「綿貫先生の飲まないはレベルが違うもん」 「でも榊先生、お酒はこれ以上駄目だってお医者さんも言ってましたよ」 「そうは言っても仕事のうちだしなぁ」 「駄目なものは駄目です!」 「──吉野君?」 「すみません。先生になんて口の聞き方を」 「いや、いいんだけどね。心配してくれたんでしょ?」 「……はい。榊先生には、この地域の、いえもっと上の方へ行ってもらいたいんで」 「さすがに僕、そこまでの才はないよ。行けて親父と同じ県議会長か……」 「そんなことないです。理一郎さんはもっと」 「吉野君」 「……すみません。ベッドに横になって下さい。水と胃薬持って来ます」 「ありがとう」  パタリと仮眠室のドアが閉まり、部屋に沈黙が広がった。理一郎は、息苦しさを逃そうとネクタイを緩め、ベッドにどさりと横になった。  息苦しいのは、酒のせいだけではない。  湊斗に名前を呼ばれた。理一郎と。 「湊斗」  理一郎は小さく声に出してみた。  箱に入る運命に、どうして人間は抗わないのだろう。どうしてこの思いに蓋をすることが出来るのだろう。  番なんかよりもっと重たくて時に切なくて、そして最も愛おしいものがあるだろう。  理一郎は、湊斗に恋をしている。箱に入っているであろう番に、この気持ちが分かるか?      
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