類は米を買えるか

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類は米を買えるか

「事務局の運営は吉野先生の名前でやっているんですが吉野先生はご自分の仕事でお忙しいので私スタッフの三上が面談を担当しますよろしくお願いします」 「お、お願いします。き、今日は面談のお時間を取っていただき、ありが……」 「挨拶は抜きで。早速始めましょう」 「は、はい」  元々早口なのか忙しいせいなのかは分からないが、三上さんという女性は、かなりせっかちな様子でウェブ画面に登場した。  吉野湊斗氏は先生と呼ばれていることから、議員であることが窺える。類の生活でもこれからの人生でも直接やり取りをすることはないだろうと思う。つまり類には関係のない世界だ。 「履歴書を拝見しました。主に在宅ワーク……ウェブ関係のお仕事には精通されているようですね。当方、そういった分野は苦手な者が多いのでお手伝いいただけると助かります。  箱から出たのは五年前ですか。その間、ずっとアルバイトで生計を立ててらしたのですか? 立ち入ったことをお聞きしてすみませんが」 「い、いえ。大丈夫です。箱から出てきた時に、なぜか小指の一部分を欠損しておりまして、それであまり、人前での仕事は、その……」 「それは珍しいですね。大変なこともおありだったでしょう」 「ま、まぁ小指ですんで、そこまでは。自治体もしっかりとは説明出来ないようでしたし……」 「そうでしたか。あの、今回の募集では会場設営やチラシ配布という作業もあるのですが」 「ですよね。こんな感じです」  三上の言わんとすることは、類にはすぐに分かった。見た目次第では、採用出来ない場合もあるということだ。今までのアルバイト面接で何回も経験しているので、類には日常茶飯事の出来事だ。  類は、パソコンのカメラ部分に右手を翳した。表と裏。両手との比較。極端に短いわけではないが、右手の小指にだけ爪はなく、しかも先端は何かで潰されたようにちぎれている。 「あ、ありがとうございます。わざわざすみません」  三上が初めて焦ったように言葉を濁し、視線を逸した。  自治体から指定された職業を外れ、アウトローな世界を生きる人々もいるという。そんなジャンルを思い起こさせてしまったかもしれない。  今度のアルバイトも駄目かもしれないな、と類の表情筋は重力に負けた。かたい仕事を長期で出来たら、家と米に悩まなくても済むと思ったのだが。 「それでは結果は一週間後に。可否をメールにてお送りさせていただきます」 「はい、ありがとうございました」  否なら来なくてもいいんだけどな、と思いながら、類は回線を切った。  一週間後、類はベッドから飛び起きて毛布に絡まり転んだ。寝起きにチェックしたスマホのロック画面に「面接合格のお知らせ」とあったからだ。  スマホのロック解除は4桁の暗証番号なのだが、慌てて打ち間違える始末だ。落ち着け俺、と類は深呼吸をする。 『真白木類様 この度は応募いただきありがとうございます。貴殿のお力をぜひお借り出来ればと思います。つきましては──』  差出人は吉野湊斗とあるが、入力したのはあの三上だろうと推察出来る。  吉野氏は代表なだけで、類の小指については知る由もないだろうから、今回の採用も、三上の温情によるところが大きかったのだろう。それでもこの仕事にありつけたのは助かる。 「良かった米買える」 「今日からお世話になります、真白木類です。基本的には在宅ワークですが、会期中は出勤しますので、よろしくお願いします」 「早速ですが明後日行われる吉野先生のセミナー会場設営を手伝ってもらいます。分からないことがあれば私に聞いて下さい。では皆さんよろしくお願いします。  そうそう、真白木さんは右手に少し不自由があるそうですが作業には問題ないとのことです。吉野先生も真白木さんの業務実績を見て太鼓判を押されていましたから」 「え、え、吉野先生……が、ですか」  類の口調はしどろもどろになった。吉野氏のところまで小指の話が届いているとは思わなかったからだ。 「はい。デザインのセンスも良いし仕事もきっちりこなされている様子が履歴書からも見て取れると。ぜひ一緒に働きたいと申していました」 「ありがとうございます。だけど、この小指だと……」 「関係ありませんよ、真白木さん」  集まったアルバイト職員が各自の持ち場へと散り、三上と立ち話をしていた類の背後から、声を掛けられた。 「バリアフリー、ユニバーサルデザイン、多様性といったキーワードは、今一番求められているのに、一番知識や経験が足りない分野でもあります。僕も長年取り組んでいますが、先輩から受け継いだ案件をまだ実現出来ないでいる。真白木さんの経験を、ぜひ活かしてほしいんです」  柔らかな笑顔が印象的な、類よりもいくらか年上に見える男性が立っていた。 「吉野先生お疲れ様です。会議終わりました? もう今日はお帰りになった方が。昨夜も泊まり込みだったんじゃないですか?」  彼が吉野湊斗だと、類は三上の言葉で知った。吉野湊斗。どこかで会ったことが──いやいや、あるわけがない。県議会議員と縁なんてない。あるとすれば、どこかのポスターで見掛けたのだろう。  優しそうだがどこか寂しげな笑顔が、類の印象に残っただけだった。  だがその笑顔は、何にでもなれると言われたのに何にもなれない類に、初めて何かになれるかもしれないと思わせた。
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