類は榊の番である

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類は榊の番である

 県会議会の進行を務め、主催のセミナーをこなし、地元からの要望を実現させるスーパーマン。それが吉野湊斗の別名だと事務局の面々は言う。  あの優しそうな面差しや物言いで強く出る時は出るし、場を和ませる時は思い切り相好を崩す。その切れ者ぶりに評判はすこぶる良い。 「さすが榊先生のお弟子さんだわ吉野先生」 「榊先生?」 「五年前に箱へ入られた県議会長候補の方なんだけど、知らないわよね。その頃箱から出たばかりだったものね、真白木君」 「そうですね」 「榊先生はすべての住民が暮らしやすい街づくりというのを目標に掲げてらして、志半ばで亡くなってしまったんだけど、あとを吉野先生が継いでいるの」 「そうなんですか」  ある日、自宅で次のセミナーのポスター作りをしていた類は、データを出力して実際に比較をしたいとの要望を受けて、吉野の元へ参じた。 「失礼します。吉野先生、ポスターを持って来ました」 「ごめんね、真白木君。在宅なのに呼び付けちゃって」  執務室で熱心に書類を確認していた吉野が、顔を上げて類に「悪い」というような表情を送った。  こういうフレンドリーな部分も、事務局の皆に好かれる一因なんだろうなと類は思う。 「大丈夫です。こちらとこちらですが、壁に貼ってみましょうか」 「うん、頼みます。ポスターの掲示板が真っ白だから、見え方を比べてみたくてさ」 「確かに」  簡易的に留められるテープで二枚のポスターを執務室の壁に貼ってみる。真っ白な壁紙には、右の少し濃い目に調整した方が映えるかもしれない。類は二枚を見比べながら、さすが吉野先生は目の付け所が違うと感心した。帰ったらもう少し色味を調整してみようとメモを取っていた時。 「ごめん嘘。今日の呼び出しは、ポスターと関係ない」  口調が急に暗い影を帯びたので、驚いて類は後ろを振り向いた。吉野の手に、ハンカチで包まれた何か小さなものが乗っている。 「真白木君、ごめん。ひとつだけ確認させて。これだけ、これだけ確認出来たらもう、僕は二度とこの件について何も言わない。約束する」 「何をでしょう」  類には何となく分かった。吉野の手に乗っている少し不気味とも言える物体。その断面は何かでちぎれてしまったような形をしている。  自分の身体の一部、だったもの。爪の残っている小指の先端。 「吉野先生、それは」 「うん。榊先生が僕に残したものだ。恐らく真白木君が箱から出てきた時に」 「榊先生というのは、吉野先生の」 「そう、大先輩で恩師。病気をされてね。この部屋も地元も、全部譲って頂いたんだ。今でも頭が上がらないよ」  執務室のキャビネットに、吉野よりももう少し年上の、スーツがよく似合う男性が写っている写真があった。隣で笑っている吉野は、本当に嬉しそうにしている。榊先生をとても尊敬しているのだろう。  尊敬だけではない、と類は感じた。最期の瞬間に小指を落とす行為、その小指を大切にする行為、そのどちらもが強い。  その強い思いのことをどう呼ぶのか、類は知らない。 「サイズが変わってしまっていると思いますが……」 「そうだね。こちらは死んでいるし、真白木君は生きている」  吉野は、そう言いながらも小指の先端を類へと伸ばした。類は、右手を差し出す。ぴったりと合わないそれは、だが意志の込められた断面を同じくした。 「俺は、榊先生の箱から出てきた人間なんですね」 「そうみたいだね」 「……吉野先生、すみません。俺が出て来なければ、榊先生は箱に入ることはなかったんですよね」 「ごめん。そんなことを言わせたかったんじゃないんだ。先生は先生で、真白木君は真白木君。こうやって一緒に仕事が出来て良かったと思っている。どうか分かって欲しい」 「いえ、俺の方こそ採用してくれて本当に感謝しています。世の中には不自由な暮らしをしている人もいます。そんな人達の助けになれたらいいなと、この事務局に来てから思うようになったんです。  俺、自治体の人に言われたんです、箱から出てきた時に。真白木という苗字は、何にでもなれるって。だけど、何になれるのかも、何かになる意味でさえ分からなかった。生きる意味そのものが分からなかったんです。  だけどここで働くようになって、吉野先生や皆の仕事を見ていて、俺の出来ることで、誰かの人生がもっと楽しくなる方法を考えたいと思うようになったんです」 「……真白木君、ありがとう。そうだね、自治体の人が言った通りだよ。真白木君は何にでもなれる、というか、もうなってる」 「いやいやいやいや、全然ですよ。もっと勉強しなくちゃだし」 「ははは、頼もしいなぁ。次のセミナーが終わったら、もっと中の仕事を見てみるかい?」 「いいんですか?」 「勿論。三上さんも県議を目指しているから、一緒に勉強したらいいよ。僕が直接教えるから。あ、番は関係なく、真白木君が見込みあると思ったから、教えたいんだ」 「ありがとうございます」  榊の番が類であることは分かった。右手の小指がそれを証明している。  だが、類には榊の存在などまったく感じない。魂の結びつきと言われても困るし、写真の中の男性が、吉野をどう思っていたかも知らない。  分かっているのは、類は吉野湊斗と一緒に仕事がしたいということ。吉野に、類の仕事ぶりを認めてもらいたいということ。  吉野は約束通り、二度とこの件を口にすることはなかった。
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