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松永啓は知らない
「予算内で、移動図書館を全区に設置出来そうです!」
「やったじゃない、初の大仕事おめでとう」
「さすがにこの予算では厳しいかなと思っていたけど、真白木君やるじゃん」
「ですよね? 俺、凄くないすか?」
「あ、さっそく天狗になってますよ先生」
「よし、もっと厳しい案件回してあげるよ」
「わぁ、吉野先生三上さんすいませんでした!」
事務局に近い職員行きつけの居酒屋で打ち上げをしようと提案したのは吉野だった。
この少し前に大きな案を仕上げた三上は、教え子二人の成長を祝う会だ、たくさん食べてたくさん飲もうと朗らかに笑う吉野に、素直に喜んでいる。
類は、そんな吉野の姿にある思いを浮かべていた。吉野のところへそろそろ箱が来るのかもしれない、と。
俺が代わりに入るんじゃ駄目だろうか。俺なんかより吉野先生の方が、この地域に必要な人間なのに。
新しい案件の準備が終わり、車で直帰する機会の出来た数日後、類は思い切ってその考えを吉野へ打ち明けた。
「俺、吉野先生のおかげで自分の存在意義を取り戻せたんですよ。嬉しかったです。家族もいないし思い残すこともないので、俺が代わりに箱へ入っちゃだめですかね?」
吉野は一瞬目を丸くして、それから大笑いをした。
「真白木君って、そういうとこ、ほんっと面白いわ。僕、そういう真白木君が好きだ」
「すき……へ?」
「そう。好き。ごめんね、真白木君は負担とか思わずにそのままの思いを受け止めてくれると思うから、言う。前にもう二度と言わないと言ったけれど、今の真白木君なら分かってくれると思うから」
吉野湊斗は道路の端に車を止めると、助手席の真白木へ向き直った。
「僕は昔から同性しか愛せない人間だった。一番好きになったのも、榊先生という男性だ。それは真白木君も分かっていると思うけど」
「……はい」
「世間一般では、番は箱の中にいて、その番が魂で呼び合うほどの強い絆だと言われている。たぶん、真白木君が箱に入っても弾かれちゃうだろうね」
「やっぱ……そうすかね……なんか悔しいな。運命には勝てないみたいで」
「だよね。君ならそう言うと思った。運命ってさ、勝ち負けじゃないって、榊先生が教えてくれたんだ」
湊斗は、ポケットから理一郎の小指が包まれているハンカチを出して手のひらで温めるようにした。
「これを真白木君に返せば、真白木君の番は五体満足で出てくると思うんだ。だけど、僕はそれをしない。この小指は僕の宝箱に仕舞って、僕は自分の小指を君に残したい。僕の記憶は次の番には引き継がれないけれど、いつかまた、真白木君の元へ小指に瑕瑾を残した男が現れたら、真白木君の元へ、僕の番がやってきたと思って欲しい。僕は、真白木類という人が好きなんだってことを、運命と共に受け入れたいんだ」
「吉野先生」
湊斗は、再び車のエンジンを入れた。類の家の前に着くと、
「一個だけお願い、聞いてもらっていいかな」
と明るく尋ねた。
「勿論です」
「名前で呼んでもらえると嬉しいんだけど」
類が湊斗に出会った頃より、目尻に年輪を重ね始めてはいるが、まだそこまで老いているわけではない。充分仕事に邁進出来る、働き盛りの年齢。
けれど人が天寿を全うしたと感じた時、箱はやって来る。吉野先生は何かを全うしたと感じているのだ、だから名前を呼んで欲しいと言っている。類はそう思った。
「会えて良かったです、湊斗さん」
この車を発進させたら、もう湊斗とは会えないんだなあという確信を持って、類は言った。泣きそうになる声を努めて明るく。そうしたらきっと、湊斗は喜んでくれるから。
「僕も会えて良かった。ありがとう、類」
車は湊斗の家の方向へと去って行った。
翌朝、湊斗が箱に入ったと三上から類へメールがあった。自治体に連絡を済ませ、新しい個体へのフォローもし、引き継ぎは完璧に行われていた。湊斗さんらしいな、と類は思った。
湊斗の番は中学生だという。それ以上の情報は自治体から知らされない。恐らく小指のない彼は、絶望感を味わっているだろう。
類は彼を探すことに残りの生涯をかけようと誓った。そして湊斗の家へ行き、宝箱を探そうと。
榊理一郎の小指の記憶は俺が受け継ぐ、と。
教育者である夫妻の子供として生成された中学三年生の松永啓は、案の定自分の預かり知らない運命に疑問以上の気持ちを持っていた。それは絶望に近い気持ちへと膨れ上がる。
──どうして僕は小指が欠けているんだろう。
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