箱がたくさんある

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箱がたくさんある

 世界は箱で出来ている。正確に言えば、無数の箱で出来ている。人間には人間の、動物には動物の。植物の場合少し構造は違うようだが、それでも基本的な箱の仕組みは同じだ。  動ける個体の場合、その時が来れば自ら箱に入るようになっている。箱の中はゼリーのような半固形物で満たされており、個体の形を完全に成していないものが溶けているような状態だ。  そこに個体が入ると、その分だけ半固形物が箱の外へ溢れ、新しい個体に成形される。箱に入った個体は形を失い、代わりに新しい個体が生命活動を始める。  ここは、あらゆる生き物が箱を介して命のやりとりをしている世界だ。  箱と個体の関係はランダムで、法則性はない。天寿をまっとうしたと箱が判断すれば、老若男女の指定なくその個体の前に現れる。  尤も、天寿というのは判断がつきにくい。生命活動の中で、自ら命を終わらせてしまいたいと思うこともあるだろう。  不思議なことに、箱は個体の状況を察したかのようなタイミングで現れるので、誰かの生命活動を途中で引き継がなければいけないような事態は起こらない。  逆に、個体が箱へ入るタイミングに箱からの働きかけというのはない。個体は、自然と箱への思いが募るようになるのだ。ああ、そろそろ箱の時期が来たかもしれないと。  ちょうどその頃、別の場所では、必要とされる個体への期待感が生まれてくる。  これが箱の世界での奇跡的な需要と供給だ。  各自治体では、どの箱に誰がいつ入り、代わりに誰が出てきたかを記録している。人間だけが持つ特権と言っても良いだろう。ただ、人間が出来るのはそこまでだ。  箱の仕組みは抗えない自然の摂理のようなもので、人間が操作出来るものではないのだ。  ただ、今までのデータを辿っていくと、箱の中に入るものと出ていくもの、彼らが生命活動中に辿ってきた遍歴が見えてくる。データから言えるのは、箱の中の二人には、他人にはわかり得ない特別な関係があるということだ。  それを番などと表現するようになったのは、ここ7,8年のことである。箱のお迎えが来ていない人間たちが使うようになり、広く辞書や教科書へ掲載されるようになった。情報番組では、箱に入る前の終活マナーなどを特集することもある。  箱に入れれば番成立。そして人生の終焉。自分の価値観、体質、哲学や宗旨、そして精神的にも肉体的にも満たされた快楽を得られる箱。そんな箱を探して、人間はさまざまなサービスを受けたり情報を得ようとやっきになっている。  初めにも言った通り箱の出現はランダムだから、無駄な努力と言えばそれまでなのだが。  だがそんな彼らにも確実に分かっていることはある。箱の中で恋愛が成就することはあり得ないのだということを。なぜなら、箱に入った時点で、入ったものは死ぬから。  箱は命の数だけあり、命の営みは箱のおかげで脈々と受け継がれていく。箱の中に入った瞬間、すべての思いは終わりを告げる。だが、それを誰も伝えられないし、解明出来ない。箱の中の記憶がないからだ。  たとえエンディングノートを作り、思い出を家族や友人と共有しあっても、そのノートの持つ意味はすぐに失われ、家族や友人もやがて入れ替わり、前の痕跡を残すものはなくなるのだ。  そう、どんなに努力をしても箱の世界では何も残らないということを、人間は理解している。  誰がいつどの箱に入り、誰が出てきたかについては記録されており、各自治体で把握されていると先に述べた。有名人であればあるほど、ニュースにもなる。  だが、箱から出てきた人間に、番の記憶は移管されない。全く別人格の新しい記憶を持って成形された人間は、自治体から苗字を与えられ、ある期間の定着期を経て得意とする仕事やジャンルを見つけ、置かれた場所で生命活動を維持する。いつか自分の番で満たされた箱と出会うまで。  箱に出会うのは、いつになるのか分からない。榊理一郎にも勿論分からなかった。  
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