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はじめまして
🎶1970年のこんにちは〜
大阪で万博が人気を博した翌年頃、水俣市に後に伝説を残すパン屋さんが誕生します。
その名は博多製菓。
名前の由来は、九州一の繁華街から命名。
きっと水俣が公害で暗くなっていく街に明るい名前で明るい火を灯したかったのかも知れません。
それから50年以上、水俣の皆様に愛された味は2023年、雪が溶け桜の開花を待ちわびる中、大将の新立さんは、長年の歴史に幕を降ろす決意をします。
きっと断腸の思いだったことは、“跡を継ぐもんが居らんなら、辞めるしかなかなぁ(;´Д`)”と筆者に呟いたのを今でも忘れられません。
給食で長年お世話になった牛乳パン。
田中牛乳とセットで良い思い出でした。
また、ゲロパンの愛称が付いたシーチキンパンは伝説となり、市内外で人気を博し、メディアでも取り上げられました。
(コチラは、噂のゲロパンです(笑))
いつかは火は消えるものなのか。
いや、消えて欲しくない( -᷄ _ -᷅ )💭
しかし、時代の流れには逆らえないのだろう。
ブラインドが下がった店先を見るのが忍びなく・・・店の前を通る度に切なくなります。
そして桜が散り、若葉がささやき、蝉時雨にひぐらしが歌を歌う頃、風の便りが(^^)
お店が再開する事を知りました。
水俣市内でコンビニなどをされている貝賀さんが引き継ぐことに。
とある農家さんが、貝賀さんに跡を継がないかを打診し、商工会議所の仲介の元に、跡を継ぐ事に。
きっと大将もひとしおかなあと思いますが、これから50有余年の歴史と伝統、味を守り抜くのは容易な事では有りません。
無論、味を守り続ける事は容易ではありませんが、必ずクリアしなければならない課題です。
大将の味を待ち望んでいた方々も居られた訳ですから。
それに大将が大切にしてきたソウルもです。
パン作りに若い時から注いできた情熱は、並々ならぬ物があったはずです。
そうした思いを全て背負う覚悟を決めた貝賀さんご夫妻の心には、きっと熱いものがあったと思います。
先ずは、お店の再開を心から喜びたいと思いますし、これからの新生博多パンに期待したいと思っている次第であります。
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