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 緩やかなカーブを曲がると、目の前に一面の青い海が広がっていた。 車の窓から身を乗り出した旭葵(あさき)は「わぁ」と思わず声を漏らした。さっきまでの不機嫌を潮風がさらって遥か後方へと運んでいく。  今年の春から旭葵は小学3年生になる。本当は旭葵の新学期に合わせて引っ越しをする予定だったのが1ヶ月遅れて、ゴールデンウィーク中になってしまった。遊園地やバーベキューが荷物運びになってしまったと、旭葵はずっと不機嫌だったのだ。 「旭葵、新しい学校ではすぐにお友だちを殴っちゃダメだからね」  助手席にいる母とバックミラー越しに目が合う。 「はいはい」  面倒臭いので、とりあえず返事だけしておく。  旭葵はいつも女の子と間違えられる。そして旭葵が男の子だと分かると次からは「女みたいな奴」とからかわれる。  だから旭葵を女の子と間違える奴はとりあえず殴って黙らせることにしている。最初にヤキを入れるとみんな大人しくなり、その後は普通に旭葵に接してくるようになる。最近は平穏な毎日を過ごしていたのに、また仕切り直しかと思うと旭葵はうんざりした。  旭葵の父は写真家だった。ここ数年、収入が地を這うようだったらしく、とりあえず父の実家に身を寄せることになったのだ。  父のお母さん、つまりは旭葵のお婆さんの家は庭付きの古い日本家屋だった。旭葵はそこで初めて自分の部屋をもらった。縁側付きの八畳一間で床の間までついていた。好奇心旺盛な旭葵は使い方が未知数の床の間に胸をワクワクさせた。    昼ごはんにお婆さんの作った甘くて丸っこいおいなりさんを山のように食べた後、旭葵は近所を探検することにした。    少し歩くと公園があった。ジャングルジムとその周りに子どもたちの姿が見えた。旭葵と同じか少し上の男の子たちに、女の子の姿もある。    ジャングルジムのてっぺんに、日の丸の赤と白を逆にしたような旗を立てていて、そのすぐ横にいた男の子が旭葵の方を指差した。  他の子らもいっせいに旭葵へ視線を向ける。  旭葵は足早にその場を去った。  しばらく歩くと防風林として植えられている松林があった。松林を抜けると浜辺に出た。深く青い海に、海の色を薄めたような空、まあまあ綺麗な砂浜。180度ぐるりとほぼ同じ光景だった。  松林の先に白く何かがはためいているのが見えた。旭葵は誘われるようにそれに向かって歩いた。  白くはためくものは大きな白い布だった。松の枝に括りつけられて、テントのようになっている。近づいてみると、布はベッドシーツのようにも見えた。  ここにもまた、さっきのジャングルジムにあったような旗があった。ただ模様は違っていて、こちらは丸の中にクローバーのようなものが描かれている。
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