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エピローグ
灼熱の太陽が降り注ぎ、東京の全てを熱していた。
「いやあ、暑い暑い」
行き交う人々はうんざりと空を見上げ、日陰を見つけて逃げ込んだ。
また一人、熱中症で誰かが倒れたのか、救急車が走り去る。
そんな猛暑の銀座を藍染めの和装に身を包む婦人が行く。年齢は六十歳ほどだろうか。日傘こそ差してはいるが、汗もかかずに歩いている。凜と背筋を伸ばした姿は、きっとどこかのママだろうと行き交う人は想像した。
婦人は並木通りの画廊に入った。
「いらっしゃいませ」
白髪の画廊の店主が頭を下げる。鼈甲のループタイがいかにも画廊の店主らしい。
「いよいよ、始まりました」
店主は笑いかけた。
「ごゆっくり、ご覧ください」
婦人は会釈し、飾られた絵を見始めた。色鉛筆を使った細密画の世界は、サンフランシスコの風景と裸婦像が中心だった。
〈ミス・リバティ〉と題された絵の前で、婦人は足を止めた。タイトルに〈売約済み〉のリボンが貼られている。
皺の寄った白いシーツに座った女が、乳房を突き出し、脚を開いて恍惚とオナニーする細密画で、髪や皮膚はもちろん、恥部の色や形、産毛までもが写真のごとく再現されている。春を迎える蕾のようなクリトリスを指先で奏で、つんと立つ乳首は今にも歓喜に揺れそうだ。
婦人はうっとりと絵を眺め、ふっと笑った。
その画廊に、一人の男が入ってきた。汗を拭き、背伸びをして婦人を見つけ、足早に近づいてくる。
「母さん!」
「ああ、夏人――」
男は婦人に歩み寄った。二人が並ぶと男はひょろりと背が高く、胸板の厚みを隠すようにやや猫背だった。
「久しぶりね、元気そうじゃない?」
男を見上げ、婦人は微笑む。
「ああ、母さんも」
頭から足の先まで確認する婦人の視線を追い払うように、男は背筋を伸ばした。
「珍しいね、画廊で待ち合わせなんて」
「たまにはいいでしょ?」
男は〈ミス・リバティ〉に視線を囚われた。
「結構、大胆だね……」
「ええ。どう思う?」
「綺麗で……自由な人、かな?」
「そうね。さ、行きましょう」
二人は画廊を後にした。入口のスタンドボードには、〈死刑囚、北村海星個展・カリフォルニアの碧い記憶〉とあった。
それから半年後、北村海星の死刑が執行された。 (了)
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【恋愛サスペンスシリーズ】
②黒と白のヨーコ:https://estar.jp/novels/26173432
③破身:https://estar.jp/novels/26182157
④悪妻:https://estar.jp/novels/26185461
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