4.悪夢④

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4.悪夢④

    *  まだ夜が明けぬうちに、夏人は部屋を出て行った。  ベッドの彩花は振り向かず、唇を噛んだまま、じっと、息を殺した。     *  ナパのタウンホームに警察が訪ねてきた。サンフランシスコ警察に案内された、警視庁捜査一課の刑事だった。皺の寄ったスーツに身を包む真面目そうな四十男と、似たようなスーツを着るもう少し若い二人連れだ 「北村海星が自首しました」 (ああ、そんな名前だったか……)  紀伊國屋で見た週刊誌を思い出す。 「友人として、あなたの名前を出しておりまして、お話を訊かせてください」 「北村海星という人は知りません」 「なんと名乗っていましたか?」 「……京村夏人」 「どういう字でしょうか?」  ふと、掌に夏人が書いた文字を思い出す。 「京都の村に夏の人」  刑事はメモ帳に書いた字を彩花に見せた。 「そうです」 「この男で間違いないでしょうか?」  見せられた写真は、間違いなく夏人のものだ。 「いつ、どこで知り合いましたか?」 「一ヶ月ほど前の土曜日、サンフランシスコの日本語ビデオのレンタルショップで会いました」 「で?」  鋭い視線が彩花の心を抉る。 「一週間後の日曜日に……セックスしました」  刑事たちが互いの顔を見る。 「どのように誘われましたか?」 「あたしが誘いました」 「ほう。電話をしたのでしょうか?」 「はい」 「なぜ、彼の電話番号を知っていたのでしょう?」 「初めて会ったときにメモをもらいました」 「どうしてメモをもらったのでしょう?」 「映画を観ようと誘われましたから」  再び、刑事たちは顔を見合わせ、頷き合った。 「その後は?」 「毎週木曜日に彼のアパートへ行きました。土曜日か日曜日にはレンタルショップへ行くので、週に二回、逢うようになりました」 「それで?」 「先週土曜日から旅行へ出かけました。あたしが運転して、モニュメントバレーを目指しました。でも、到着する前に、彼は姿を消しました」 「なぜだと思いますか?」 「……わかりません」 「そうですか。今のお話、日本でもお願いできるでしょうか?」 「帰国の予定はまだありません」 「今後、検事や司法当局から連絡があるかもしれません。その時にはご協力をお願いします。念のため、名刺をお渡しします。帰国が決まったら、こちらにご連絡をお願いします」  刑事は名刺を差し出した。 「あの……」  今度は彩花が問うた。 「彼は、何をしたのですか?」  刑事たちは意外そうな顔をした。 「すみません。捜査情報をお話することはできないんです」 「週刊誌に記事が載っていました」 「ああ、ご覧になりましたか。あれはまだ確定した話ではありませんが、まあ、だいたいあんなところです」 「彼は痴漢を働いていたそうですね?」 「……まあ、ええ……」 「そのことと、女性を三人殺害したのは、何か関係があるのでしょうか?」  刑事の顔つきが険しくなった。 「なんで、そんな質問を?」 「ちょっと気になったものですから……」 「そのことなら、週刊誌も触れていましたね」 「ごめんなさい。全部読んでいなくて……」 「記事によれば、ですが――」  そう前置きして、刑事は教えてくれた。 「痴漢仲間が証言したそうです。一度失敗したのをきっかけに痴漢を止めたのだけど、その抑圧が強姦という形で爆発した」  尻に触れる「手」の感触が蘇る。 「ともかく、あなたは無事でよかった」 「え?」 「下手をすれば、四人目の被害者になったかもしれない」 「そんな……」 「冗談ではありませんよ――」 「おいっ」  若い刑事が何かを説明しようとしたが、ベテランの方が制止した。きっと、夏人が何か供述したのだと彩花は思った。 「彼が、あたしを殺すつもりだったと言ったのですか?」  二人の刑事はとぼけるように視線をずらす。 「お願いです。教えてください」 「いえ、それは申し上げられません」  逃げるように刑事たちは帰っていった。     *  10月15日、夫が出張から戻ってきた。  何か土産でも買ってくるのかと思ったら、持ち帰ったのは「離婚届」だった。 「会社は辞める。ロサンゼルスへ引っ越して、寿司店で修行するつもりだ」 「彼女と一緒になるの?」  浩一は言葉に詰まったが、すぐに開き直った。 「お義兄さんが寿司店をやっているんだ」  彩花の帰国後、北村海星は女性三人の殺害容疑で起訴された。その後、裁判となり、死刑判決が出される。控訴はせず、一審で刑は確定し、北村海星は拘置所に収容された。
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