冒険譚のラストシーンにて

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これまでわたしは、植物に戻りたいと願っていた。何も思考せず、仲間と群れて枝を伸ばすだけの巨木に。 何百年も前のように、いまわたしの内側には光や神聖が満ち始めている。でも、もうきっと植物には、なにがあっても戻れないのだろう。男と出会うまではそれを認めることが苦痛だった。けれどいまは。 こころの内側で、わたしが覚えた幾つもの感情を撫でる。追慕。寂寞。怒り。憎しみ。哀しみ。孤独。___信頼。愛情。祈り。 ひとつひとつが、触れれば痛むほどの鮮烈な感情だった。こころとは、なんて重たくてどうにもならないものだろう?でもこれらを手放すくらいなら、わたしは、永遠に自分のこころに苦しみながら生きてゆくことになっても構わなかった。抱きしめるたびに傷つくことになっても、それでも最期まで、わたしは思考を放棄せずにこころを抱きしめていようと思っている。 それが、わたしをすくいあげた男に対する誠実さだと思ったからだ。 竜から見ればうたた寝の長さほどの、短い命の残りをかけて。あの男は、わたしと、街の者と、家族へ、自分が持ち得る物のなにもかもを与えようとしている。 一瞬の命。あっという間に老いて消えてゆく命を。その他人に捧げたすべての時間を、わたしは永久の時間をかけて憶えておかねばならない。たとえ苦しくとも、そうしていたいと、わたしは心の底から思っていた。
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