冒険譚のラストシーンにて

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火と鉄の匂いが山にまで届く。男と初めて出会ったときの、洗練されたそれらの匂いではない。命を冒涜する激しさの野蛮なそれ。山の斜面は険しい。数日前から山を迂回して、男の街へ敵軍は進行していた。そして今日街の関所へとたどり着いたのだ。 ___本当は、その道中ですべてを嚙み砕いて、切裂いて、粉々にしてやりたかった。けれど、それでは男の街を永い間護ることは出来ない。「あの街に手を出してはならない」と、王国中に知らしめなければならなかった。 動物たちが木陰から、不安そうに見つめている。 ”あの男が護ったこの山も、お前たちのねぐらも、なにひとつ奪わせないよ。この山は未来永劫、おまえたちのものだ” 翼を広げる。びしびしびし。ひび割れる氷河のような音を立てて、翼の鱗が逆立つ。大きく息を吸えば、束の間音が消えた後に、わたしを中心に暴風が巻き起こる。 陽と風と雨と。それらで生かされる竜の躰は大気のように軽く、自分が起こす風の上に飛び乗るのは造作もないことだった。 一度大きく翼をふるえば、尾の先まで宙のなかへ。わたしは生まれて初めて空に抱かれる。そこは太陽が稜線へと沈みきり、わたしを慰めるみたいに鮮やかな夕焼け色をしていた。逆立った鱗の全てに、赤と橙と紺の色彩が反射している。 この景色を美しいと感じられるこころをわたしにくれた者がいた。一緒に見られたらどんなに楽しいかと思い浮かべる者がいた。 見下ろせば、ファリアと過ごしたねぐらも、男と出会った山頂も、夕暮れに照らされながらしんとそこに在るのがよく見えた。わたしの山。わたしの全てが詰まった山。 破裂音のようなものが聞こえる。 ぐるりと首を捻ると、男の街の入り口で煙が上がっているのが見える。 かつて、わたしは植物だった。永らく意味をなさなかった大きく邪魔な翼や、他者を傷つけうる鱗や爪や牙を持って産まれたのは、今日この日のためであったのだろう。 さあ行こう。これがきっと、産まれてから数千年ずっと此処にいたわたしの、最初で最後の冒険になる。
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