冒険譚のラストシーンにて

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____喪失感でどうにかなりそうだったあの冬が終わって、春が来て、そして夏が来た。 関所ひとつが燃え墜ちただけで、私たちの街に何の被害も出さなかった争い。父と私の、取り戻しようのない宝物がたったひとつ失われた争い。 あの聡い竜が演じきった役は、完璧だった。彼は「三文芝居の茶番だった」といったけれどそんなことはない。あの演技は完全に、私と父と母以外の全ての人間を騙し切った。送り込んだ軍をほぼ全て塵にされた領地からは、勝手に始めたくせに、これまた勝手に停戦協定の申し入れが送られてきた。すべての兵力を失ったのだから、こちらにいま報復をされれば困るのは明白だったからだ。私はとても納得できなかったけれど、でも父はある程度こちらの利になる条件を飲ませたうえで、それを受け入れた。 「あの竜はすべてわかっていたのさ。どんなに悲しくて、悔しくても、いまその台本を俺が受け取らなくてはいけない」 「俺たちの余生はあの竜の形見だ。生きていかなくては」 父は数日ふさぎ込んで泣いていたけど、でも、そう言いながら街の長としてまた立ち上がったのだった。 そして街に根付いていた信仰は、より強固なものになった。生物としてあまりに圧倒的な姿とその力を目の当たりにして、「非力な人間は自然の内側で生かされている」という教えは実感に変わったからだ。しかもその畏怖は、この街の者だけじゃ無く王国中に広まっていった。 山周辺の領地や噂が届いた王都などは、「けしてあの街や英雄へ手を出さないでおこう」と肝に銘じたことだろう。もし父が死んだ後でだって、私たちの街へ手を出せるはずもなかった。ここは「最悪の怪物」が永遠に棲まう山のお膝元なのだ。 あの怪物は、あの後再び父に瀕死においやられて山へ帰っていったのだと皆は思っている。でも本当は、私たちの美しく優しい竜は死んでしまったのだ。私たちの目の前で、星屑になって夜に溶けていってしまったのだ。
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