ベータの兄と運命を信じたくないアルファの弟

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 断続的な声に集中していると、女だと思っていた声が実は男の高い声であることに気がついた。ハアハアハア、と別の男の息遣いも聞こえてくる。それはまるで腹の底からグルルルと興奮が湧き上がっているような、獣みたいな声だ。人間がこういった声を出す場面に、優鶴は一度だけ居合わせたことがある。  優鶴はゴクッと唾を飲み、ビジネスバッグをギュッと強く胸に抱きしめた。入口から恐る恐る公園の中に入る。声は公衆トイレの裏からだった。  トイレの壁に背中をピタリと貼りつけながら横歩きで近づき、耳をそばだてる。 「か、かん……で……っまなぃでぇ……っ」  矛盾した甘い声とともに、ドスンッともつれあって倒れるような音が聞こえてくる。かあっと熱くなる頬を雨で冷ましながら、優鶴はビジネスバッグを持つ腕に力をこめる。そして意を決し、ぬかるんだ地面を蹴った。 「おいっ! なにやってるんだっ!」  バッと公衆トイレの裏に飛び出る。最初に目に飛び込んできたのは、ガクガクと身体を震わせている痩せた男だった。齢は二十代前半だろうか。上半身の服が乱れた姿で、突っ伏すように背中を丸めていた。  オメガだろう。うなじには黒い革製の首輪が光沢している。オメガのフェロモンにあてられて発情したアルファに、首すじを噛まれて番にされてしまうのを防止するためのものだった。  途端に優鶴は「うっ」と口元を片手で覆った。雨の湿気に運ばれて、えもいわれぬ甘い匂いが鼻をついたのだ。徐々に下半身が熱を帯びていきそうな予感。これ以上ここにいたらまずい。本能の声に従い、優鶴は顔を背けようとした。  だが、優鶴は相手の男を見て固まった。痩せた男を見下ろしてハア、ハア、ハア……と肩で息をしている男、それは―――― 「こ、う……?」  雨音にかき消され、小さな声は『煌』の耳にまで届かなかったようだ。煌は血走った目を震えている男に据えたまま、獲物を狙うかのように相手に襲いかかった。 「なにやってんだおまえっ!」  咄嗟に煌の服の裾を掴もうと、優鶴は手を伸ばした。だが動物的な動きを見せた煌の方が、圧倒的にすばやかった。  男の背中に覆いかぶさった煌は、乱れた男のベルトに手をかけてズボンを脱がせようとしている。男は逃げようとするものの、力が入らないようだ。泥だらけの手が、雨に濡れた雑草の上を虚しくさまよっていた。  優鶴はバッグを投げ捨て、煌の肩を掴んだ。「やめろ煌!」  叫びながら引き剥がそうとするが、煌はびくともしない。  このままでは埒が明かない。優鶴は投げ捨てたバッグで、煌の頭を思いきり殴った。さすがに効いたのか、男にのしかかった煌の体が前後に揺れる。その隙に煌の体を男から引き離し、優鶴は叫んだ。 「今のうちに逃げろ!」  だが、男は逃げるどころか乱れた着衣を直すこともしなかった。弱々しく体を支えながら上半身を起こし、「……犯、し……て」と独り言のようにつぶやいた。
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