ベータの兄と運命を信じたくないアルファの弟

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 煌は鼻筋もスッと通っているし、結ばれた唇の形もいい。髪を切って髭も剃ったら、涼しげな美貌の男に生まれ変わる……と思うのだが、現在は肩まで伸びた海藻のような黒髪のせいで山籠もりしている修行僧みたいだ。  身体能力や知的能力の高いとされるアルファにふさわしく、煌はこの五年間まともに太陽の光を浴びていないのに百九十センチ近くある。二十歳を過ぎているのにいまだ背が伸びているようだ。半年前に足首を覆っていたスウェットの裾からは、脛が見えている。  ドアの隙間から「おまえさ、こないだの土曜の夜なにしてたっけ?」と尋ねると、煌は面倒くさそうに口を開けた。 「……誰かさんのパソコン修理させられてましたけど。一晩中、監視付きで」 「だっておまえ、目離した隙に逃げんだもん」 「もういい?」煌はドアをガチャンと閉めた。  玄関に戻ると、刑事二人は安心したように笑いながら「いや~お手数おかけしました」と言った。 「私たちもね、オメガがアルファを強姦の罪で訴えようとするってのがまずどうかと思うんですけどねぇ。まあ私らも仕事なんで、被害届出されちゃ捜査しなくちゃならないんですが」  「半分以上はオメガの責任ですからね」という二十代の発言を、四十代の刑事が「バカ野郎、百パーに決まってんだろ」と言い伏せる。  ブツブツ文句を言いながら帰っていく男たちの背中を見ながら、優鶴はため息をついた。  この世界の性別には、男女の他にバース性という三つの性別が存在する。それがアルファ、ベータ、オメガの三種類だ。官僚やアスリートなど、優れた知的能力や身体能力をもつ一部の人間が『アルファ』で、人口が多く能力も平均的なのが『ベータ』だ。優鶴はこのベータで、両親も妹の睦美もベータだった。  反対にもっとも人口が少なく、アルファ以上に特殊性をもつのが『オメガ』だ。ヒートと呼ばれる発情期があり、その間に放出されるフェロモンでアルファの性衝動を煽ってしまうという性質がある。そのため学校や会社など組織の中で敬遠されがちで、何よりも男女ともに妊娠できるという点が他の性別との大きな差だ。  優鶴が初めて『オメガ』のヒートを見たのは高校一年生のときの文化祭。女友達に誘われて観に行った演劇部の公演中に、それは起こった。出演していた男子生徒の一人が、壇上で急に胸と腹の真ん中あたりを押さえながら、苦しそうにうずくまったのだ。  男子生徒の様子に観客席はざわついた。そんな状況の中で、事件は起きた。男子生徒と同じく舞台の上にいた女子生徒が、突如その男子生徒に襲いかかったのである。しかも男子生徒に群がったのは、女子生徒だけじゃなかった。客席から舞台に上がった男子生徒や、中には保護者らしき大人もいて、あっという間に舞台上を含む体育館は、惨たらしい場と化した。  華奢な男子生徒の服を脱がそうとする大きな身体が、優鶴には恐ろしかった。アルファと思われる彼らの狂気じみた表情が怖くて、客席に助けを求めるように伸ばす手を取るどころか、動くことさえできなかった。
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