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優鶴の指先が示したのは仏壇だった。写真立てに入れられた三人が兄弟に微笑んでいる。後ずさる煌の胸ぐらを掴み、優鶴は前後に揺すった。
「放っておいてほしいなら、俺を心底呆れさせろっ! おまえのことなんて見限りたくなるぐらい、俺におまえのことを憎いって思わせてみろよっ!」
叫びながら、目の端に涙が溜まっていくのを感じた。どうしてこんなひどいことを言わなくちゃならないんだろうと悲しくなった。
「でも俺は、おまえがどんなに嫌なやつでも、呆れることをしても、憎いなんて思わない」
煌の目が徐々に開かれていく。目を合わせて話をするのは事故以来初めてのことだった。
「俺はおまえのことが世界で一番大事なんだからな!」
そう言って突き放すと、力の抜けた煌はペタンと床に尻餅をついた。そして立ち上がることを忘れたように、ゴシゴシと涙を拭く優鶴のことをじっと見上げていた。
この日を境に、煌は優鶴のことを『あんた』と呼ばなくなった。反抗的な態度も影を潜め、優鶴が見ているとも知らず、こっそりと大学入学案内をめくっていることもあった。
そんな煌が「通信制なら」と優鶴に言いだしたのは、事故から四年が経った去年の夏。二人で家族の眠る墓前を訪れた帰りの電車だった。乗客は優鶴と煌の二人しかおらず、窓から射しこんだ西日がまぶしかった。
「腹減ったなぁ」
住宅街が並ぶ窓の外を見つめながら優鶴がつぶやくと、煌は突然口を開けた。
「俺、大学行く」
脈絡のない返答に「急にどうした」と訊く。
「べつに。兄貴が行け行けってうるさいから」
照れを隠すようにそっぽを向いた煌の耳は、好きな子を打ち明けたあとのように赤かった。
煌の心境の変化が嬉しくて、優鶴は煌の腕をにやにやしながら何度も肘で小突いた。はじめは照れていた煌だが、やがて「しつこい」と迷惑そうに身体を引いた。
どんなに迷惑がられても、優鶴は弟の頭を撫でたくてしょうがなかった。「このこの~っ」と癖のある黒髪を撫でまわすと、煌は怒ったように顔を赤くして反対側の座席に逃げていた。そんな煌が微笑ましかった。
こうして今年の春、優鶴の気難しい弟は同級生たちから二年遅れて通信制の経済大学へ進学したのだった。
二十一歳の煌は、現在大学一年生。相変わらず家に引きこもっているが、部屋の中から真面目に大学の授業を受けているようだ。大学から送られてくる成績表を見ると、やっぱりアルファ専門の大学にいったほうがよかったんじゃ……と本人ではない優鶴が後悔してしまうほどに申し分ない。
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