ベータの兄と運命を信じたくないアルファの弟

1/45
142人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ
***  玄関ドアを開けると、スーツ姿の男が二人立っていた。一人は四十代半ばの神経質そうな男で、もう一人は二十代後半くらいの男だ。  ただでさえ出勤前でバタバタしているのに、一体何の用だろうか。平沢優鶴(ひらさわゆづる)が「何か?」と訊くと、年上の方が「少しお尋ねしたいことが」と胸ポケットから警察手帳を出した。 「先日、花井田公園の公衆トイレで強姦事件が起きたのをご存知ですか?」  優鶴は「ああ、はい」と答える。花井田公園は、現在二十五歳になる優鶴が小学生の頃に土地区画整理でできた公園だ。先週の土曜夜、そこで強姦事件が起きたらしい……という話は月曜日のゴミ出しの際、近所の主婦たちが井戸端会議で話しているのを聞いた。 「プライバシーに関わることなので詳しいことは言えないんですがね。まあ、被害者というのはアレです」 「アレ、というのは?」優鶴は首をひねった。 「オメガですよ。ま、『オメガ特定保護法』のせいで男女の性別まではお伝えできませんが」  ぞんざいな口調で、警察官は手帳を閉じる。やる気がないのか、心底どうでもよさそうだ。  あと十五分ほどで家を出ないといつも乗る電車に遅れてしまうため、優鶴は「手短にお願いできますか」と控えめに要求した。  刑事たちによると、被害者の体内から採取された体液を調べてみたところ、判別できたDNA型は過去のデータになかったそうだ。だが、加害者の性別は『男』で、かつ第二の性別であるバース性が『アルファ』だということだけは判明しているらしい。  現在の日本では、アルファのみバース性検査の判定結果を自治体へ提出することが義務付けられている。その情報をもとに、事件現場の近くに住む『男』の『アルファ』に話を聴いているのだと男たちは説明した。 「平沢煌(ひらさわこう)さん、こちらにいますよね?」  二十代の方に訊かれる。「はい、弟ですが」と答えると、「少しお話を聴かせてもらってもいいですか?」と若い刑事は申し訳なさそうに続けた。  特別うちのを疑っているわけじゃないんだろうなと思ったが、調査といって話を聴くのも彼らの仕事なのだろう。さっさと協力して帰ってもらおうと、優鶴は階段下から「煌ーっ」と弟を呼ぶ。  反応はない。もっと大きな声でもう一度呼んでも、二階の部屋からドアの開く音はおろか足音さえも聞こえなかった。  スーパーやコンビニに行く以外で煌が引きこもるようになって早五年。向こうの気が乗らないときにいくら呼んでも出てこないのは、兄である優鶴が一番知っている。「上がってください」と刑事二人を促し、優鶴は傾斜のある階段を上がった。幼稚園の頃、二歳下の妹・睦美(むつみ)と一緒になってクレヨンでいたずら書きした壁の前を通りすぎ、煌の部屋へと向かう。 「おら起きろっ」  ダンッとドアを叩くと、思ったよりもすぐにそれは開いた。 「……なんだよ」  ドアの隙間から、不機嫌そうに眉根を寄せた煌が現れる。煌は重たそうな前髪の隙間から切れ長の三白眼を見せ、気だるそうに優鶴の後ろにいる男二人に目を向けた。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!